かつて背上に文殊菩薩像(もんじゅぼさつぞう)を載せた獣座としての獅子。滋賀県大津市の園城寺(おんじょうじ)の新羅善神堂(じんらぜんじんどう)伝来といわれる。新羅明神の本地は文殊菩薩であった。体軀(たいく)は群青(ぐんじょう)色、たてがみは緑青(ろくしょう)で彩り、腹部は朱を塗る。腰高ながら、足の筋肉や爪、骨格の表現は写実的である。飛び出た大きな眼、比較的単純な面構成による顔の表情、丸々とした胸など、10〜11世紀の作と考えられる奈良・薬師寺像や京都・東寺像に通ずるところがあり、本像の制作期も従来言われてきた平安末期(12世紀)をさかのぼるとみるべきだろう。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.115, no.151.
滋賀・園城寺の新羅善神堂伝来という。背中に鞍敷と蓮華座があるので、かつて背上に文殊菩薩像を乗せた台座としての獅子であることがわかる。
榧材を用い、前後に三材を矧ぎ、尾には別材を矧ぎ足す。内刳は施さない。
丸い眼を見ひらき、口を閉じ、牙を左右各一本のぞかせ、口辺の粘膜帯を見せる。真正面に顔と視線を向け、四肢をそろえて踏んばる。たてがみはウェーブしつつ身体に張りついて流れる。腰高だが、充実した肉取りが印象づけられる。足の筋肉や骨格、あるいは足爪の表現は意外に写実的である。腹帯(はるび)を巻き、胸懸(むながい)・鞦(しりがい)を着け、そこから萼付きの蕾形と珠形の飾りを下げる。
頭・体ともに群青を塗り、たてがみ等の毛並みは緑青で、腹部は朱の具で淡紅色に塗る。鞍敷は金泥塗りとし、蓮華は朱・群青・緑青・白土および截金で華麗に彩る。胸懸・鞦と腹帯は金箔押し。
榧材を用いた古様な構造、球状の大きな眼球、比較的単純な面構成による顔の表情、丸々と張った胸など、寛治元年(1087)制作と考えられている奈良・薬師寺の獅子・狛犬や、10世紀後半とする説のある京都・教王護国寺の獅子に近く、本像の制作期も11世紀にさかのぼる可能性を考えさせる。
(岩田茂樹)
その背に反花(かえりばな)を備えた鞍褥(くらしき)をのせていることから、本来はここに文殊菩薩像を乗せていた獅子であることが判明する。この種の獅子の多くは開口するが、本像が閉口することは極めて珍しく、また頭部を横に向ける像が一般的な中で、真っ直ぐ正面を向くのも特徴的である。彩色は、肉身に群青、毛は緑青彩で毛筋に截金を置き、口などに朱をさすという鮮やかなもの。
小振りの頭部で小さな耳を立て精悍な表情を作るのは、寛治元年(1087)作の薬師寺の獅子像と共通する要素である。しかし薬師寺像との共通性は時代性と言うよりは、むしろ興福寺華原磬(かげんけい)の獅子のような奈良様を引くということであろう。逞しい肉付けをしながら、胴を引き締めた姿には鎌倉時代的な気分が現れ始め、本像が藤末鎌初の頃に古様な獅子を手本として作られたと考えられる。
なお、本像は滋賀・園城寺新羅善神堂伝来といわれるが、智證大師以来の唐の多様な図様が存した寺であること、新羅明神の本地が文殊菩薩とする説のあることは興味深い。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.300, no.101.