画面中央に描かれる飛雲に乗った地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、背後に表される春日山と御蓋山(みかさやま)の存在から、春日社三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵が影向(ようごう)する姿であることが知られる。さらに春日山の上空に浮かぶ五つの月輪(がちりん)内に、向かって右からバク、バイ、カ、キャ、マンの種子(しゅじ)を表すことで、それぞれ釈迦(しゃか)=一宮、薬師(やくし)=二宮、地蔵(じぞう)=三宮、十一面観音(じゅういちめんかんのん)=四宮、文殊(もんじゅ)=若宮という春日社および若宮の本地仏を示しており、通例の春日曼荼羅(かすがまんだら)と異なって地蔵の種子が中央に配されるところにも、春日三宮の地蔵信仰が明確に反映されている。
画面右下に記される「櫟屋」という金泥銘(きんでいめい)と花押(かおう)から、室町時代末期以降に南都において盛んに仏画を製作した櫟屋(いちいや)所属の絵師の手になることがわかる。櫟屋とは春日山内にあった小堂のこと。ここで仏画の製作から開眼供養(かいげんくよう)、表装まで行い、さらに本品のような春日信仰に関わる画像も多く手がけたのだろう。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術ー特集 春日大社にまつわる絵師たちー. 奈良国立博物館, 2019, p.71, no.51.
画面中央に描かれる飛雲に乗った地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、背後に表される春日山と御蓋山(みかさやま)の存在から、春日社三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵が影向(ようごう)する姿であることが知られる。さらに春日山の上空に浮かぶ五つの月輪(がちりん)内に、向かって右からバク、バイ、カ、キャ、マンの種子(しゅじ)を表すことで、それぞれ釈迦(しゃか)=一宮、薬師(やくし)=二宮、地蔵(じぞう)=三宮、十一面観音(じゅういちめんかんのん)=四宮、文殊(もんじゅ)=若宮という春日社および若宮の本地仏を示しており、通例の春日曼荼羅(かすがまんだら)と異なって地蔵の種子が中央に配されるところにも、春日三宮の地蔵信仰が明確に反映されている。
画面右下に記される「櫟屋」という金泥銘(きんでいめい)と花押(かおう)から、室町時代末期以降に南都において盛んに仏画を製作した櫟屋(いちいや)所属の絵師の手になることがわかる。櫟屋とは春日山内にあった小堂のこと。ここで仏画の製作から開眼供養(かいげんくよう)、表装まで行い、さらに本品のような春日信仰に関わる画像も多く手がけたのだろう。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.55, no.39.
春日山のあたりから、地蔵菩薩が飛雲に乗って来迎する様子である。画面の上方には向かって右から、月輪中に種子(しゅじ)でそれぞれ釈迦(バク)、薬師(バイ)、地蔵(カ)、十一面観音(キャ)、文殊(マン)を表し、これは春日社と若宮の本地仏を示している。すなわち本図の地蔵菩薩は、春日三宮の本地仏であり、この地蔵尊が霊異をあらわして影向(ようごう)したという場面を描いているとみられる。画中に「檪屋(花押(かおう))」との金泥銘がある。
檪屋(いちいや)とは室町時代末期の南都で仏画を制作した町絵師の屋号と考えられ、檪屋に属した絵師は、涅槃図(ねはんず)をはじめ多くの仏画を残している。主として春日社内の檪屋堂でさまざまな法会が行われたときに用いられた仏画の制作にしたがったと考えられている。なお、春日社には同じ「檪屋(花押)」の落款がある春日地蔵曼荼羅が伝来しているが、そちらには裏書きがあって室町末期永禄中に制作されたことが知られる。
(梶谷亮治)
春日信仰の美術, 1997, p.31