比叡山の東側の山麓に鎮座する延暦寺(えんりゃくじ)の鎮守、山王社(日吉大社)の景観を俯瞰(ふかん)的に描く礼拝画である。景観のなかには東西の本宮をはじめとする山王二十一社の社殿を明瞭に描きこむ。上方には別に区画を作り、下段に山王二十一社の祭神の姿、中段に本地仏(ほんじぶつ)の姿、上段にその種子(しゅし)(尊像を象徴的に表す梵字(ぼんじ))を並べ、まつられる多数の神々とその本地仏との相関関係を示している。神々の鎮座する社殿とともに信仰の空間を景観として描き、上方に神と仏の関係性を示す理知的な画面構成といえる。春日社(かすがしゃ)を描く春日曼荼羅などと同様の構想だが、山王社をこうした構成で描く絵画は稀有(けう)である。周囲に輪宝文の描表装を残している点も貴重といえる。修理銘から長く比叡山内に伝わったことが分かる。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.270, no.175.
本図や霊雲寺本は、社殿が重要な構成要素として描かれていない点で、宮曼荼羅とは称し難い作品であり、社殿を介在させずに神仏と直接対面するという性格は、影向図にあたるものであろう。しかし一面で、社殿は描かれないものの、本図左方の上寄りに表された大宮の本地仏姿の前には、二本の棕櫚(しゅろ)が植えられ、さらにその両脇に垣で囲まれた樹木を配するのは、社頭の景観を彷彿とさせる要素に他ならず、また図中に散見するその他の建物や橋によっても、境内の人工性が示されるところは、宮曼荼羅との共通性も否定できない。宮曼荼羅もその発生に遡ると神仏の御体の曼荼羅がもとになっていたとみなされるので、常に両者は関連しながら展開する関係にあったことを考えさせる点で興味深い作例といえる。像のうち、上七社は本地形で大きく表されて、まとまりを示しており、毘沙門天の大行事と不動明王の早尾を本地仏とする以外は、いずれも垂迹形で表された中・下社よりも、明らかに顕著な存在として現れ、主要な構成要素となっており、その七社に注目して図を見ると、大和文華館本「山王宮曼荼羅」との近似性が明白に浮かびあがろう。なお、図の周囲に当初の描表具が残っており、緑地に輪宝・羯磨文は、両界曼荼羅など密教画に用いられるものと共通し、図の内容についての理解を示唆する。
(中島博)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.302
比叡山(ひえいざん)の東麓に鎮坐し、延暦寺(えんりゃくじ)の鎮守社として発展した日吉神社(ひよしじんじゃ)(山王社)の景観を主要素とする礼拝画。東西両本宮をはじめとする、山王二十一社の社殿を、情感的に描かれた自然景に埋没せぬ明瞭さで詳細に描写し、現実性を全面に押し出している。神仏習合思想の中で作り上げられた教説である本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)による、超越者である仏が仮にこの世に現れた存在という神の性格を、神社の実景描写をもって表したものである。図の上部には別に区劃を設け、二十一社の祭神・本地仏・種子を並べる。各像に名称の短冊形を付すのは説明的で、尊像の存在感を損ないかねない。それは各社殿についても同様であり、宮曼荼羅としては時代の下降により、礼拝画たる重厚さの薄れる傾向は認めざるを得ない。画面と連続する絹地に描表具(かきひょうぐ)を施しており、当初からの掛幅の形態をよく残していることは貴重である。背面の貼紙の墨書によって、文安4年(1447)に相伝されるまでは比叡山西塔西谷にあったことが判る。
(中島博)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.321, no.184.

