密教修法(しゅほう)で行者が振り鳴らし仏と交信する仏具で、持ち手(把(つか))の上部に表されたモリ状の装飾(鈷(こ))が五股であることから五鈷鈴(ごこれい)と呼ばれる。本品は鈴身に四体の明王(みょうおう)を表した仏像鈴(ぶつぞうれい)の遺品。明王は多面多臂(ためんたひ)で、火炎光を負い、蓮華座上に坐している。その尊名は、頭部に馬頭を有する像が馬頭明王(ばとうみょうおう)と推測される他は不詳であり、特殊な図像にもとづいていることが指摘される。獣面から突出した返しの大きい鈷の形状や、明王の粘りのある立体感など、日本の金剛鈴とは異なる特徴が著しい。中鈷の脇に孔が穿(うが)たれており、もとは舎利(しゃり)が納入されていた可能性がある。
(三本周作)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.262, no.122.
鈴身(れいしん)に四尊の明王をあらわした五鈷鈴。鈷(こ)・把(つか)部と鈴身を同鋳する。鈴身の側面に仏像をあらわした金剛鈴(こんごうれい)を仏像鈴(ぶつぞうれい)と呼び、その多くは中国で製作されたものである。あらわされた尊格によって明王鈴、四天王鈴、梵釈四天王鈴の種類があり、本品はそのうちの明王鈴の一つにあたる。明王鈴は、不動明王を含む五大明王をあらわしたものがほとんどで、その図像は『別尊雑記』書載の智證大師(ちしょうだいし)(円珍(えんちん))請来の図像とほとんど一致することがすでに指摘されている。本品は不動明王があらわされていない非常に珍しい明王鈴で、依拠する経軌は特定されていないが、鈴自体を不動明王に見たて、軍荼利、降三世、金剛夜叉、大威徳の四大明王をあらわしたものといわれてきた。近年、頭上に馬頭(ばとう)をあらわした明王を馬頭明王とし、馬頭明王を含む四大明王をあらわした明王鈴とする説も出されている。さらに尊名の検討は必要であるが、本鈴は製作当時の中国密教において円珍請来の図像とは異なる図像の併存をうかがわせる貴重な作例である。
(永井洋之)
平城遷都一三〇〇年記念 大遣唐使展, 2010, p.347
鈴身側面にあらわされた四尊像は肉高に彫出され、把部、五鈷部を含む総体を一鋳として製作し鍍金を施したもので、彫技、鋳技ともに優れた作品である。鈴底は八角形に作り出し、鈴側面に彫り出された尊像と尊像との間地は線刻による花文と魚々子鏨による文様で埋め尽くされている。また、把部は複雑な刻文帯や紐帯、蓮弁帯を巧みに構成し、鈷部は脇鈷の根元に表された龍口の彫りや鈷の湾曲の張りと逆刺(さかし)の返りの鋭さなど、いかにも唐請来の密教法具にみられる力強い造形を見せている。本作品の鈷部には、中鈷と脇鈷二本に挟まれた付け根の個所に四角い孔が穿たれている。これは舎利を納めたものと考えられており、空海請来目録中に密教法具舎利納入の記事が見出せることと考え合わせても非常に興味深い。また、本作品の尊像については、これまで鈴身自体を不動尊とし、鈴側の尊像をその像容から不動以外の四大明王に比定する解釈がなされてきたが、儀軌などに見える図像と相違する点などと見とめられることから、各尊名の比定にはさらに検討の余地が残る。
(伊東哲夫)
仏舎利と宝珠―釈迦を慕う心, 2001, p.233-34
鈴身部に四天王や明王などの仏像を表した仏像鈴の一種で、本品のように明王像を表したものを明王鈴という。仏像鈴は中国・唐時代に成立したものと考えられ、唐から宋代にかけ遺例を見ることができる。この作品は鈴身側面に軍荼利(ぐんだり)、降三世(こうざんぜ)、金剛夜叉(こんごうやしゃ)、大威徳(だいいとく)の四明王を肉高く鋳出したもので、鈴自体を不動明王に見立てたものである。像容は『別尊雑記(べっそんざっき)』に「智証大師(円珍)請来」と注記された図像などとも異なり、尊名の比定は異論もあろう。尊像間を魚々子や線刻の花文で埋める。身は肩張りが少なく、裾すぼまりで、口縁部は八花形に作る。把は中央に鬼目八個を表し、その上下を多様な紐帯や複雑な蓮弁帯で飾り、五鈷は中鈷が八角形で中ほどに節をつくり、脇鈷は基部が龍口から出た張りの強い忿怒形で鋭い逆刺(さかし)をつけるなど、きわめて装飾性に富んでいる。中鈷と2本の脇鈷にはさまれた部分に小孔があり、大師請来目録などに見る密教法具舎利納入の事例との関連が窺える点も興味深い。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.289, no.57.