瓦塔とは、木造建築の塔をかたどった焼き物の小塔で、奈良時代から平安時代にかけて盛んに作られた。焼成した窯跡や、用いられた場である寺院跡、集落跡などから出土し、その多くは五重塔に復元される。本品は、昭和三十三年(一九五八)、浜名湖を望む山中における発掘調査で出土したもの。出土時は断片化していたが、接合と部分的な復元により当時の姿がよみがえった(相輪は全て補作)。基壇(きだん)、軸部(じくぶ)、屋根、相輪の各パーツは別々に作られ、それらを組み上げる構造である。柱や組物、屋根瓦などの細部が精緻に表現されており、建築史学的にも貴重な品である。
(中川あや)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.246, no.20.
木造建築の塔を模した土製の小塔を瓦塔とよぶが、この小塔は静岡県の三ケ日町の山中にあった小堂の中に埋納されていたと考えられる瓦塔である。非常に精緻に実際の塔建築を表現しており、考古学、建築史ともに注目されるものである。この塔は五重塔に作られ、相輪、屋根、軸、基壇の四部分から構成される。相輪部は出土しておらず、補作されたものである。屋根は本瓦葺で表され、軸廻りは二軒構成で、柱間は初層が三間、上層は二間である。柱や組物が非常に細かく表現されている点は特筆される。また、別材で柵状の部材を作り、裳階(もこし)を表現しようとしている点は、他に例がなく興味深い。本品が、瓦塔の中でも特に特徴的なのは初層である。すなわち、初層内部に内陣にみたてた箱形を置き、さらにこの表面に仏像を浮き彫りにしている点は議論が続く瓦塔の機能について重要な示唆を与えている。瓦塔は関東から西日本まで広く出土するものの、破片が多く、全体像を把握できるものは少ない、また、仏堂を表現した瓦堂(がどう)とともに出土することもあるが、瓦塔・瓦堂の用途については、実際の建築物を代用したとする説、これら自体が信仰の対象であったとする説などが提唱されているものの、まだ明確にはされていない。
(岩戸晶子)
建築を表現する―弥生時代から平安時代まで―, 2008, p.32
木造建築の塔を模した、焼物の小塔を瓦塔とよぶが、この小塔は静岡県の三ヶ日町の山中にあった小堂の中に納置されていたと考えられる瓦塔である。この塔は五重塔で、相輪部、屋蓋部、軸部、基壇の4部分から構成される。しかし相輪部は出土遺物がなく、新たに補作されている。屋蓋部は本瓦葺(ほんがわらぶき)で表され、軒廻りは二軒(ふたのき)構成で、柱間は初層が3間に、それ以上は2間にしている。柱や組物は丹念に表現され、初層の内部には内陣にみたてた箱形の置物が据えられている。
年代については、かつて平安時代前期とされていたが、近年の研究で、愛知県の猿投(さなげ)古窯の出土品の中で、奈良時代後半の770年ごろに営まれた黒笹(くろざさ)8号窯の遺物に形態が類似しているので、その時期の焼成品とみられるようになった。
瓦塔の用途については、木造塔の代用品説などが提唱されているが、まだ明確にはされていない。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.281, no.16.

