小像ながら、平安時代にさかのぼる彫像の五大明王がそろう貴重な遺例。カヤの一木造で、京都・教王護国寺(きょうおうごこくじ)(東寺)講堂の五大明王像のような、いわゆる弘法大師様(こうぼうだいしよう)を踏まえた形をとるが、軍荼利(ぐんだり)明王が左脚を高く跳ね上げて片足立ちとする点は、彫像としては珍しい。各像の動感ある姿勢に破綻はなく、作者の技量の高さがうかがえる。やや大ぶりな目鼻立ちは、京都・醍醐寺(だいごじ)五大明王像のような九世紀末から十世紀初頭の忿怒形(ふんぬぎょう)に通じるが、浅い衣文(えもん)の彫りや誇張を抑えた体軀(たいく)の表現から、十世紀末から十一世紀初頭の制作とみるのが穏当であろう。
(岩井共二)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.129, no.172.
平安時代の五大明王の彫像で五体そろっている貴重な遺例。個人的な祈禱の本尊であった可能性が考えられる。カヤ材の一木造で、京都・教王護国寺(東寺)講堂の五大明王像のような、いわゆる弘法大師様を踏まえた形をとる。細部まで入念に仕上げられ、小像であることを感じさせない。大ぶりな目鼻立ちは、京都・醍醐寺五大明王像のような九世紀末から十世紀初頭の忿怒形(ふんぬぎょう)に通じるが、本像では、やや誇張を抑えた穏健な表現になっており、制作年代は十世紀末から十一世紀初頭の頃と考えられる。
(岩井共二)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.259, no.103.
遺例の少ない一具の五大明王像。像の大きさからみて、一堂の本尊ではなく、私的な修法(すほう)のための造像であったか。五尊ともに京都・東寺講堂像に近い図像だが、軍荼利(ぐんだり)明王像(みょうおうぞう)が片足を跳ね上げるのは珍しい。
題箋
全国的にも稀少な一具の五大明王像の遺例。像の大きさからみて、一堂の本尊ではなく、私的修法(すほう)のための造像であった可能性がある。中尊不動明王は顔を真正面に向け、両眼を見ひらき、上歯で下唇を噛む。いわゆる大師様(だいしよう)に属する姿で、他の四尊も基本は大師様の典型である京都・東寺講堂像に近い図像だが、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)像がさながら蔵王権現(ざおうごんげん)のように片足を跳ね上げるのは珍しい。丸みを帯びた体型等から、平安時代中期の制作と考えられる。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.106, no.137.
五体が完存する東密系の五大明王像の佳作で、各像とも全体をカヤの一材から彫出しており、内刳(うちぐり)はない。小像ながらも木の材質感を巧みに生かした造形が行われており、張りのある下ぶくれの頭部やがっしりとした体躯は堂々たる風格を漂わせている。また降三世明王に踏みつけられて苦悶する大自在天の表情など、細部の入念な表現も精彩に富んでいる。中尊の不動明王はほぼ正面を向いているが、基本的に大師様の像容に忠実な形式をもつ。総髪とした頭髪に毛筋を表さず平彫にしているのは、(頭頂には蓮華をつけていたとおぼしき丸孔がある)、当初は描線による表現が行われていたことによるものであろう。図像的に興味深いのは頂部に髑髏を戴いて首に巻きつけ、胸前で両手を交叉させた軍荼利明王で、左脚を高く跳ね上げて片足立ちとする点は彫像では珍しい。これは画像にしばしばみられる形式であり、立像の三体の裳裾(もすそ)において激しい動きの一瞬をとらえたかのような風動表現が行われ、放物線が反復されていることも、制作に際して白描図像などの描写が参考にされた可能性を物語る。しかしながら彫像としての重量感と奥行きはいささかも滅じられておらず、複雑な姿態を破綻なくまとめた構成力とあわせ、作者の非凡な力量がうかがえる。製作年代は、鎬(しのぎ)を立てつつも浅めの彫りでまとめられた衣文の表現など、重厚さの中に穏健さがのぞく作風からみて十世紀後半頃とするのが妥当であろう。不動像の右手先と持物は後補。
(稲本泰生)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.158
五大明王は、護国、除災を目的とする仁王経法の本尊として、平安時代以来盛んに造立されたもので、密教の忿怒尊らしく、力感の籠った荒々しい像容と躍動的な姿勢に表現される。その形制は真言宗の空海将来様と天台宗の円珍将来様の二系統に分れるが、本像は空海将来様の一例で、中央に不動明王、その四方に降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の四天王が配位されている。
各像とも細部にいたるまでカヤの一材から彫出した丸彫り像で、内刳りもない。重厚な肉付けをみせたどっしりした体貌、複雑な像容と激しい肢体の動きを的確に彫出したすぐれた造形力には、平安時代一木彫像の特色がよく示されている。
(松浦正昭)
奈良国立博物館名品図録 増補版. 奈良国立博物館, 1993, pp.20-21, no.9.

