春日山の御蓋山(みかさやま)を遠景に配し、岩座に坐す毘沙門天と、その左右に立つ吉祥天、善膩師(ぜんにし)童子を表す。毘沙門天は左足を垂下して向かってやや右向きに坐し、右手は宝棒を執り、左手は宝塔を戴く。吉祥天は胸前に左手で宝珠を戴き、善膩師童子はわずかに歩を進め、見上げる姿勢で箱を持つ。『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』巻第六などが説くように、吉祥天は毘沙門天の妻、善膩師童子はその子とされ、しばしば三尊形式で表されるが、春日の景に描かれるのは極めて珍しい。また、岩座の前には毘沙門天の使者とされるムカデが描き込まれており、毘沙門天とムカデを組み合わせて表す早い例でもあるだろう。
鎌倉時代後半の成立と推定される『古社記(こしゃき)』(春日大社蔵)によれば毘沙門天は春日の地主神、榎本社(えのもとしゃ)の本地仏であるという。一連の春日本迹曼荼羅(奈良・寳山寺本、白鶴美術館本)などに、像容は多少異なるが、本品同様に坐す毘沙門天が榎本社の本地仏として描かれていることからも、本品は同社の本地仏として描かれていることからも、本品は同社の本地仏の姿を表すものと解される。なお、本品のように、画面全方に鳥居を描く例は春日曼荼羅において少なくないが、藤花の絡まるのは特異といえる。奈良・南市町自治会本をはじめ、春日宮曼荼羅の諸本には、藤鳥居(ふじのとりい)と呼ばれる鳥居に藤の絡まる様子と併せ、藤鳥居から榎本社近くの本社南門に続く参道が確認されるものが少なくない。実際、藤鳥居は榎本社の間近にあり、この鳥居は藤鳥居を表すと推察される。
近代の仏像修理に大きな功績を残した彫刻家、新納忠之介(にいろちゅうのすけ)(一八六八~一九五四)の旧蔵品。
(伊藤久美)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.328-329, no.159.
春日山の御蓋山(みかさやま)を遠景に、岩座に坐す毘沙門天と、その左右に立つ吉祥天(きちじょうてん)、善膩師童子(ぜんにしどうじ)を表す。毘沙門天は左足を垂下して向かってやや右向きに坐し、右手は宝棒を執り、左手は宝塔を戴く。吉祥天は胸前に左手で宝珠を戴き、善膩師童子はわずかに歩を進める姿勢で箱を持つ。『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』巻第六などが説くように、吉祥天は毘沙門天の妻、善膩師童子はその子とされ、しばしば三尊形式で表されるが、春日の景に描かれるのは極めて珍しい。また、岩座の前には毘沙門天の使者とされるムカデが描き込まれる。
鎌倉時代後半の成立と推定される『古社記断簡』によれば、毘沙門天は春日の地主神、榎本社の本地仏であるという。一連の春日本迹曼荼羅などに、像容は多少異なるが、本品同様に向かって右向きに坐す毘沙門天が同社の本地仏として描かれていることからも、本品はそうした本地仏の姿を表していると解される。なお、本品のように、画面全方に鳥居が配される例は春日曼荼羅において少なくないが、藤花の絡まるのは特異といえる。南市町自治会本をはじめ、春日宮曼荼羅の諸本には、藤鳥居と呼ばれる鳥居に藤の絡まる様子とともに、藤鳥居から榎本社近くの本社南門に続く参道が確認される。実際、藤鳥居は榎本社の間近にあり、この鳥居は藤鳥居を表すかと推察される。
近代の仏像修理に大きな功績を残した彫刻家、新納忠之介(一八六八~一九五四)の旧蔵品。
(伊藤久美)
おん祭と春日信仰の美術-特集 奈良奉行所のかかわり-. 奈良国立博物館, 2016.12, p.61, no.30.
画面上部に御蓋山(みかさやま)と春日山および日輪を描いて春日の風景を示し、その下には毘沙門天(びしゃもんてん)と脇侍(吉祥天・善膩師童子)を描く。画面下端には鳥居がみえ、これに藤が絡むことから中ほどに描かれた毘沙門天は春日大社の神域内に在ることを示唆(しさ)している。
毘沙門天は岩座に左足を垂下して坐(ざ)し、左下を向く。右手に宝棒を執り、左手に宝塔を載せる。着兜形で腹前に獅噛(しがみ)を表す。岩座の下に毘沙門天の使者とされるムカデが描かれる。
鎌倉時代の成立とされる『古社記断簡(こしゃきだんかん)』「春日御正躰事」によれば、毘沙門天は春日大社廻廊(かいろう)内の南西隅に鎮座する榎本社(えのもとしゃ)の本地仏(ほんじぶつ)にあたる。この「春日御正躰事」に著(しる)される諸尊の図像は、奈良・宝山寺や東京・静嘉堂文庫美術館などの春日本迹曼荼羅(かすがほんじゃくまんだら)や、静岡・MOA美術館の春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)にもみられる。ただし、本品の毘沙門天はこれらとは別系の図像である。毘沙門天信仰を示す本地仏曼荼羅の数少ない一例として貴重である。
(原瑛莉子)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2011, p.68, no.52.
図は、上方に春日山と御蓋山を描き、これが春日曼荼羅であることを明確に示している。その下方に岩座に坐す毘沙門天像を表し、その脇侍として吉祥天と善膩子童子(ぜんにしどうじ)を配している。脇侍の間には、一匹の百足(むかで)を描く。下方には藤花のからんだ藤(ふじ)の鳥居(とりい)を配している。すなわちこの毘沙門天は春日社の神域に坐しているのである。毘沙門天は、鎌倉時代にはすでに春日社の地主神(じしゅしん)である榎本社(えのもとしゃ)(楼門中の西回廊内に南面して祀られる)の本地仏であるとされたことが知られており、本図は榎本社の貴重な本地仏曼荼羅ということになる。なお、図中に配された百足は、毘沙門天の使者と解釈される。春日神の神威と毘沙門天信仰の功徳を重ねた、室町時代の春日信仰の一端を語る作例である。
(梶谷亮治)
春日信仰の美術, 1997, p.30-31

