斎尾廃寺は現在の鳥取県琴浦町(ことうらちょう)所在の、七世紀後半の創建とされる古代寺院跡。金堂と塔を東西に並べ、北側に講堂を配置する法隆寺式の伽藍(がらん)配置を採り、出土遺物には瓦のほか、塼仏(せんぶつ)、塑像、銅印などがあり注目される。本品は塑造の仏像の断片で、脚部、髻(もとどり)(束ねた頭髪)、螺髪(らほつ)、白毫(びゃくごう)、耳の一部である。これらは複数の仏像のパーツと考えられるが、大きいものでは丈六仏(じょうろくぶつ)(立像としての高さが一丈六尺〔約四・八五メートル〕に及ぶ仏像)の存在が窺われる。先進的な仏教文化が古代山陰の地に波及していたことを示す。
(中川あや)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.245, no.13.
白鳳時代創建の斎尾廃寺は古代伯耆国(ほうきのくに)、現在の鳥取県琴浦町に位置する。奈良時代まで存続したと考えられ、東西一六〇メートル、南北二五〇メートルもの大伽藍を有する山陰地方を代表する古代寺院である。金堂の西に塔を置き、その北側に講堂を配する法隆寺(ほうりゅうじ)式伽藍で、現在も基壇や礎石が良好に残存している。出土遺物で注目されるのが、多種多様な塑像(そぞう)である。丈六の大型品には髻や指、螺髪(らほつ)といった部位が見え、小型仏像には仏頭や衣文(えもん)などが含まれる。特に端正な顔立ちの仏頭には都から遠く離れた山陰の地に白鳳の息吹が確かに定着していたことが窺え、感慨深い。軒丸瓦は複弁蓮華文の周囲に雷門を飾る紀寺(きでら)式の系統のもので、軒平瓦には当時の最新の文様である法隆寺式の忍冬唐草文(にんどうからくさもん)を採用し、山陰地方でこの組み合わせは他に例を見ない。古代因幡国(いなばのくに)・伯耆国からなる現鳥取県内には東西全域にかけて斎尾廃寺のほか上淀廃寺、大御堂廃寺、大寺廃寺など白鳳寺院が地方としては濃密に分布する。因幡・伯耆の寺院の在り方は寺院造営に関する中央直結の技術や情報を手にすることができた有力な在地豪族の存在を示唆している。
(岩戸晶子)
開館一二〇年記念白鳳―花ひらく仏教美術―, 2015, p.263-264

