春日宮曼荼羅の定形が成立した後に、それに倣って周辺の他の神社について製作された一例。生駒山東麓に位置する生駒神社(往馬座古朝都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ))の社景を表し、上端部に縁起の表現を加えている。中央上寄りの塀と垣で囲まれた一面に七神殿が配され、左に並ぶ五殿は応神天皇とその親族たち、右に離れてやや小さい一殿と横向きの一殿は伊古麻都比古と伊古麻比売であり、本来の二神が後に勧請された八幡神に主神の座を譲っている。円相に納まった七本地仏が、神殿から上に離れて並ぶが、そのうち左の五像がちょうど山裾の線に重なって配されるのは、下の神殿と上の縁起の両方に掛ける意図かと見受けられる。黒袍の神と二随身が、上端部左方の海岸の神社から雲に乗って立ち、生駒山に降り立つのは、八幡神の遷座を表すと考えられる。海岸の神社は、やまと絵に常用される州浜の形とも調和するように、概念的で簡略に描写されており、住吉社とされることもあるが祭神の点で疑問があり、むしろ宇佐宮を表すと見るのが穏当であろう。下部には、鳥居から楼門まで参道が中央を貫いて礼拝画の形式を調え、周辺に攝末社のほかの殿舎が散在する。
(中島博)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.301
生駒神社(往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ))は、奈良市の西、生駒山東山麓に鎮座する。生駒曼荼羅はその社景を整然と描き、本地仏および、祭神飛来の説話的情景をあわせて表している。図は、瑞垣と土堀に囲まれた七座の社殿を中央やや上に大きく描き、講座および拝殿・楼門、さらに下方には御旅所や神楽殿などが桜樹などをまじえた景観の中に表される。
社殿の上方には七体の本地仏が虚空中に現れる。向かって左から文殊菩薩、地蔵菩薩、十一面観音、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、毘沙門天であり、それらは葛城高額比売命(かつらぎのたかぬかひめのみこと)(神功皇后の母)、気長宿禰王命(おきながすくねおうのみこと)(神功皇后の父)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后、応神の母)、足仲津比古命(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇、応神の父)、誉田分命(ほんだわけみこと)(応神天皇=八幡神)、伊古麻都比古神(いこまつひこがみ)、伊古麻都比売神(いこまつひめがみ)にあたる。すなわち応神天皇を中心とする八幡三神と、応神の母である神功の父母の各神格を中心に、本来の生駒神を脇に配している。上方には随身とともに生駒山に降臨する八幡神が描かれる。こうした図様は、鎌倉時代後期の元寇を契機として弓箭の神である八幡神が中世生駒神社に勧請され祭神となったことに関係している。表現は細緻であり、鎌倉時代の本格的な垂迹画として重要である。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.321, no.183.