最澄(伝教大師、767~822)が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状で、「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから、「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から送られた詩の序のなかに知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。
時に最澄は47歳。文中、空海を指す「大阿闍梨」の箇所で行を改めるなど、7歳年下の空海に対して礼を尽くしている。
この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と恭謙な心情をうかがわせる。文字は清澄で格調が高い。
「久隔帖」は江戸時代には青蓮院に伝えられており、多和文庫(香川県大川郡志度町の多和神社)を経て、美術品の蒐集家として知られる原三渓(1866~1939)が所有していた時期もあった。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.308, no.140.
最澄が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から贈られた詩の序の中に知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。時に最澄は四十七歳。文中、空海を指す「大阿闍利(だいあじゃり)」の箇所で行を改めるなど、七歳年下の空海に対して礼を尽くしている。この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と教譲な心情をうかがわせて印象深い。文字は清澄で品格が高い。
(西山厚)
日本仏教美術銘宝展, 1995, p.334