伝教大師(でんきょうだいし)こと最澄(七六六もしくは七六七〜八二二)が愛弟子の泰範(たいはん)に宛てた手紙で、現存する唯一の最澄自筆書状である。泰範は最澄が大きな信頼を寄せた弟子の一人であったが、弟子間の対立から比叡山を下りており、その後、最澄の命に従って高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺(じんごじ))の空海(七七四〜八三五)のもとで密教を修学していた。「久しく清音を隔(へだ)つ」(久しく音信が絶えている)の言葉から始めるため、「久隔帖」と呼ばれる。
内容は、空海の詠んだ漢詩に対し和詩を奉りたいが、空海が詩の序文で触れている新しい書物(空海撰)を知らないので、その内容を知らせて欲しいというもの。さらに追伸では、自分が入手した梵本(ぼんほん)の法華経を空海に見せるため、高雄山に参りたいので都合を確認して欲しいと述べている。空海の詩をきちんと理解した上で返したいといった心遣いや、年下の空海に対して最大限の敬意を払うなど、最澄の謙虚な人柄がうかがわれる。最澄は空海から密教を学ぶことを望んでいたが、延暦寺や天台宗の基盤を整えることに忙しく、直接高雄山寺に赴く機会がなかなか得られなかった。
(斎木涼子)
超 国宝ー祈りのかがやきー. 奈良国立博物館, 2025.4, p.337, no.132.
伝教大師(でんきょうだいし)こと最澄が愛弟子の泰範(たいはん)(七七八~?)に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状である。泰範は最澄が大きな信頼を寄せた弟子の一人であったが弟子間の対立から比叡山を下りており、その後、最澄の命に従って高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺(じんごじ))の空海のもとで修学していた。「久しく清音を隔(へだ)つ」(久しく音信が絶えている)の言葉から始まるため、「久隔帖」と呼ばれる。
内容は、空海の詠んだ漢詩に対し和詩を奉りたいが、空海が詩の序文で触れている新しい書物(空海撰)を知らないので、その内容を知らせて欲しいというもの。さらに追記では、自分が入手した梵本の法華経を空海に見せるため、高雄山に参りたいと述べている。空海の詩をきちんと理解した上で返したいといった心遣いなど、最澄の謙虚な人柄がうかがわれる。最澄は空海から密教を学ぶことを望んでいたが、延暦寺や天台宗の基盤を整えることに忙しく、直接高雄山寺に赴く機会がなかなか得られなかった。
(斎木涼子)
空海 密教のルーツとマンダラ世界. 奈良国立博物館, 2024.4, p.270, no.72.
伝教大師(でんきょうだいし)こと最澄(七六六または七六七〜八二二)が愛弟子の泰範(たいはん)に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状である。泰範はこの時、高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺(じんごじ))の空海のもとで修学していた。「久しく清音を隔(へだ)つ」(久しく音信が絶えている)の言葉から始まるため、「久隔状」と呼ばれる。内容は、空海の詠んだ漢詩に対し和詩を奉りたいが、空海が詩の序文で触れている新しい書物(空海撰)を知らないので、その内容を知らせて欲しいというもの。さらに追記では、自分が入手した梵本の『法華経(ほけきょう)』を空海に見せるため、高雄山に参りたいと述べている。空海への気遣いなど、最澄の謙虚な人柄がうかがわれる。
(斎木涼子)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.255, no.76.
最澄(伝教大師、767~822)が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状で、「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから、「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から送られた詩の序のなかに知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。
時に最澄は47歳。文中、空海を指す「大阿闍梨」の箇所で行を改めるなど、7歳年下の空海に対して礼を尽くしている。
この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と恭謙な心情をうかがわせる。文字は清澄で格調が高い。
「久隔帖」は江戸時代には青蓮院に伝えられており、多和文庫(香川県大川郡志度町の多和神社)を経て、美術品の蒐集家として知られる原三渓(1866~1939)が所有していた時期もあった。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.308, no.140.
最澄が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から贈られた詩の序の中に知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。時に最澄は四十七歳。文中、空海を指す「大阿闍利(だいあじゃり)」の箇所で行を改めるなど、七歳年下の空海に対して礼を尽くしている。この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と教譲な心情をうかがわせて印象深い。文字は清澄で品格が高い。
(西山厚)
日本仏教美術銘宝展, 1995, p.334

