興福寺の東、現在の奈良国立博物館の敷地の中に、春日神に捧げられた二つの塔跡が残っている。西側の塔は関白(かんぱく)藤原忠実(ふじわらのただざね)、東は鳥羽上皇(とばじょうこう)による発願の塔で、前者は永久四年(一一一六)、後者は保延六年(一一四〇)に建立された。それぞれ「殿下御塔」(「西御塔」とも)、「院御塔」(「東御塔」)と呼ばれた。その場所は春日の一之鳥居をくぐり参道を東へ百メートルほど進んだ左手にあたる。『中右記(ちゅうゆうき)』によれば、塔の建立は春日の樹木を伐らずにすむ地を選んだという。治承四年(一一八〇)、平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちで両塔は焼失するが、鎌倉時代に藤原一門により再建された。現在は塔の基壇と若干の礎石を残すのみであるが、往時はそれぞれ三方に築地(ついじ)を巡らせ、参道に面した南方には楼門(ろうもん)と複廊(ふくろう)を備えていたことが発掘調査で判明している。ここに示す瓦は両塔の再建後に用いられたもので、塔や築地、楼門など場所によって、あるいは葺き替え・修復等で様々な組み合わせがあったとみられる。
瓦当面にそれぞれ「西御塔」「東御塔」と陽刻銘を付けるのは、再建にあわせて作られた専用瓦。「興福寺」銘や巴文の瓦も数が多く、補修や改築にあたって隣の興福寺から頻繁に瓦が流用されたことがうかがわれる。
なお、両塔が建立された時期は、春日若宮社の創建、そしておん祭のはじまり(長承四年~保延二年/一一三五~一一三六)にあい前後する時期である。本地垂迹(ほんちすいじゃく)思想のもとに春日信仰が貴顕に隆盛したことを示す遺溝として両塔は貴重な存在である。
(吉澤悟)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2015.12, p.30, no.10.
にしのみとうめいのきひらがわら(ならけんかすがさいとうあとしゅつど) 西御塔銘軒平瓦(奈良県春日西塔跡出土)
1個
瓦製
幅26.5
考古
鎌倉時代 13世紀
- H031682
- H031682
- 2015/11/05
- 全体(瓦当)
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| 収蔵品番号 | 241-10 |
|---|---|
| 部 門 | 考古 |
| 区 分 | 考古 |
| 部門番号 | 考31 |
| 伝 来 | 奈良市登大路町出土 |
| 銘 文 | 瓦当面陽刻「御西塔」 |
| 文 献 | おん祭りと春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2015.12. 80p.奈良国立博物館蔵品図版目録 考古篇 仏教考古. 奈良国立博物館, 1993, 156p. |

