春日若宮社(かすがわかみやしゃ)の中臣祐賢が詠んだ和歌を自ら紙に書き記したもの。和歌は「霞」「鴬」「春恋」と題する三首である。祐賢は歌に優れ、『玉葉和歌集(ぎょくようわかしゅう)』等の勅撰集(ちょくせんしゅう)にも入撰した人物。はじめ祐方と名乗り、寛元四年(一二四六)前後に名を改め、康元二年(一二五七)二月頃に父祐定(すけさだ)の譲りを受けて神主となった。「兵庫助(ひょうごのすけ)祐賢」を自称する本品は、この間の作である。鎌倉時代に、春日社を中心とする南都社寺の神官や僧侶等によって詠まれた和歌の懐紙は、数多く現存し、「春日懐紙」と通称される。その多くは紙背(しはい)に別の典籍(てんせき)が書写されて伝わった。本品もその一つ。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.277, no.217.
春日若宮社神主家の中臣祐賢(なかとみのすけかた)(?~一二八二)が詠んだ和歌三首を自ら書き記した懐紙である。和歌は「霞」「鶯」「春恋」と題する三首。祐賢は、もともと祐方(すけかた)と名乗り、寛元四年(一二四六)二月頃に祐定(すけさだ)の譲りを受けて神主となった。「兵庫助(ひょうごのすけ)祐賢」を自称する本品は、この間の作である。本品も他の春日懐紙と同様に、紙背(しはい)を利用されて現在まで伝わったと思われるが、背面は剝(は)ぎ取られてしまって墨痕はほとんど確認できない。また、春日懐紙の大半の紙背には「春日本万葉集」が書かれるが、本品は中臣祐定が『万葉集』の筆写を終えた寛元二年(一二四四)より後の和歌懐紙であり、紙背には『万葉集』ではない別の典籍が書かれていたと推定される。現在までのところ、紙背が「春日本万葉集」でない春日懐紙は、数枚しか知られておらず、大変貴重なものと言える。
(野尻忠)
おん祭と春日信仰の美術, 奈良国立博物館,2012, p.53,no.23

