地獄の一角には、特に沙門すなわち僧が堕(お)ちる地獄がある。本図はその沙門地獄のさまざまな責め苦を表した絵巻の一場面が断簡となったもの。戦前は柏木貨一郎氏蔵の絵巻として知られたが、戦後分断され、各所に所蔵された。本図に描かれているのは、禁じられている飲酒や肉食を好んだ僧が落ちる地獄。沸き立つ糞尿(ふんにょう)の河に突き落とされ、怖くなって涙を流すと目からは炎が噴き出すという逃げ場のない責め苦を受ける罪人たちのさまを、透徹した客観的態度で描く。
構成や書風および絵画表現から同時期に製作された地獄草紙などと一連の作であった可能性が指摘されている。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.268, no.161.
沙門、すなわち僧でありながら、前世で仏の戒めを守らなかった者が堕ちるのが沙門地獄。本展の出陳品以外に、咩声(びせい)地獄(アメリカ・シアトル美術館蔵)、剝肉(はくにく)地獄(個人蔵)、鉄山(かなやま)地獄(所蔵者不明)があり、これらを合わせた計七点がもとは一巻を成した。実業家・益田鈍翁(ますだどんおう)旧蔵で、当時は氏のもとにあった辟邪絵(へきじゃえ)と一対で「地獄草紙」の名で呼ばれていた。戦後、段ごとに分断され、現在はその断簡が諸家に分蔵される。
『宝達菩薩問答報応沙門経(ほうたつぼさつもんどうほうおうしゃもんきょう)』という中国で作られた経典によれば、東の鉄囲山(てっちせん)という山には数知れないほどの地獄があり、そこに三十二の沙門地獄があるという。この経典は日本には『仏説仏名経(ぶっせつぶつみょうきょう)』の一部としてもたらされ、平安時代の宮中などでは、この種の経典を唱えて一年の滅罪を祈る年末恒例の法会、仏名会で地獄変扉風を立てたという。一連の沙門地獄草紙および辟邪絵は、この扉風の図様を受け継いでいる可能性が指摘されている。
火象地獄は、淫欲におぼれ、仏殿をけがしたり仏像を壊したりした僧が堕ちる地獄。炎を吐きながら暴れ回る巨大な象に痛めつけられる。一夜にして千回死に、千回生き返って、永遠の苦しみを受けるという。
飛火地獄は、鳥の羽をむしった僧が堕ちる地獄。あたかも鳥のように飛び回る炎の群れが、逃げ惑う僧たちを襲う。
沸屎地獄は、仏道では禁じられている酒や肉などを食べた僧が堕ちる地獄。馬頭の獄卒(ごくそつ)に責め立てられて行き場を失った僧たちが、沸き返った屎(くそ)の川に飛び込んでいる。
解身地獄は、殺人を犯した僧がまな板の上で切り刻まれる地獄。砂粒ほどに刻まれたのち、鬼が「活々」と唱えると元の姿に戻ってまた切られていく。包丁と箸であたかも調理するように肉身を刻み、器に盛る鬼たち。その横では、これから自分がたどる悲惨な未来に絶望し、身もだえる僧たちが腰を下ろす。
地獄草紙や餓鬼草紙などと形式や画風が似通うものの、より俯瞰した視点をとるのが特徴で、個人の卑小さが際立つ。
(伊藤久美)
源信 地獄極楽への扉. 奈良国立博物館, 2017.7, pp.276-277, no.65.
かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当する。旧益田家本地獄草紙は、国宝辟邪絵(奈良国立博物館蔵)とともに長らく一組の地獄草紙として伝わった。その内容は、十六巻本『仏名経』が引用する『馬頭羅刹経』に説かれる沙門地獄であることが明らかにされており、本品はそのうちの「沸屎地獄」に相当する。平安初期から宮中で行われてきた仏名会で使用される地獄変御屏風には、沙門地獄が描かれた。同屏風には辟邪神の姿が描かれていた可能性もあることから、本品を含む旧益田家本地獄草紙と辟邪絵は地獄変御屏風の図様をもとに描かれた元来一具の絵巻とする説も提示されている。
本品は、詞書における寂蓮流の書風や、人物描写において下描きや隈取を丁寧に施すという平安時代大和絵の伝統的な手法が認められる一方、馬頭羅刹の肉身に用いられる極度の肥痩を伴った線描などに鎌倉時代への過渡的な様相も見て取れることから、その制作時期は平安末期から鎌倉初頭と考えられるだろう。
僧侶でありながら、戒を破って飲酒を好み、また禁じられている辛みのある野菜を好んで喰らい、動物の肉を好んで食い散らかしたものが堕ちる地獄。ここには、沸騰した屎糞の河が東西に流れ、臭い膿汁の河が南北に流れていて、その中に烟火が盛んに入り乱れている。城の北門を入ってきた六百人の僧侶は、この臭く汚らわしい光景を見て、予感される苦痛に耐えられず、口や眼から火を出す。獄卒はその僧侶を捕えて、みな屎糞の河に突き落とすと、屎糞が僧侶の口から鼻へ、また鼻から口へ出入りする。こうして一日に百度生死を繰り返し、苦しみは例えようがないという。絵の右上に沸屎地獄の北門、左下に火焔を上げながら東西に流れる屎糞の河が配される。門を怖ず怖ずと入り来る僧侶の大群はいずれも口や眼から火を出し、詞書にはない馬頭の獄卒によって、河に突き落とされて脚だけが出ている姿に、屎糞が口と鼻を出入りすることが思われる。
(中島博)
美麗 院政期の絵画, 2007, p.227-228

