遺品の僅少な鎌倉時代初期の伎楽面で、南都の有力仏師の作とみられる。眉を吊り上げて眼を見開き、目じりの上に松葉状に分かれる血管を表現する。古代の力士面は歯列を表現するが、本品は口を「へ」の字に結び、歯列をあらわさない。この形式は同時代の金剛力士の吽形像(うんぎょうぞう)の姿に基づくと考えられ、東大寺南大門像などにも通ずる特徴がうかがえる。忿怒相(ふんぬそう)の表現に仮面特有の意匠化のあとはみられるが、弾力感に富んだ筋肉の隆起を的確に描写した現実感に富む作風も、諧謔味(かいぎゃくみ)の顕著な古代の力士面とは一線を画している。キリ材製。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.117, no.154.
遺品の僅少な、鎌倉時代の伎楽面の新出資料として注目される優品。キリ材製で、瞳を円形に、鼻孔を猪目状に彫り抜き、耳孔を貫通させる。髻は別材製(亡失)で、頭髪・眼を黒漆塗、頭飾全面を漆箔とするほかは朱漆塗とし、眉・髭・鬘髪を墨で毛描きする。面裏は黒漆塗仕上げ。眉を吊り上げ、眼を見開いて口をへしめた顔立ちで、目尻の上に松葉状に分かれる血管を表現する。忿怒相の表現に仮面特有の意匠化のあとはみられるものの、弾力感に富んだ筋肉の隆起が的確に描写されている。その現実感に富んだ作風は諧謔味の顕著な奈良時代の力士面とは一線を画し、東大寺南大門仁王像などに通ずる特徴がうかがえる。数ある力士面ないし金剛面はことごとく歯列を表現するが、本品は口をへの字に結び、歯列をあらわさない。この形式は同時代の金剛力士の吽形像の姿に基づくと考えられ、鎌倉時代の新解釈が付加されているとみられる。無銘で、伝来経緯も不詳だが、南都の有力仏師による、十二世紀末から十三世紀頃の作であろう。当時においてはすでに衰退していた伎楽の仮面が製作されること自体が稀有であったと目されるため、本品が当初、東大寺及び神童寺の伎楽面と一具をなしていた可能性も想定される。
(稲本泰生)
御遠忌八百年記年大勧進 重源―東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出―, 2006, p.228