青銅器館二階の展示室に楽器のコーナーが設けられているのをご存知であろうか。今回はその中でも異色の一品、青銅製の太鼓”銅鼓”を紹介する。
本品は漢代以降に製作されたものであるが、銅鼓自体は紀元前5世紀ごろから製作が始まり、現在でも広西チワン族自治区、広東、雲南、貴州、四川、湖南など中国南部の少数民族地区からインドシナ半島まで広い範囲で使用が確認されている。恐らく、各種の青銅器の中で今も現役として生産・使用が続いているのはこの銅鼓だけではないだろうか。
鼓面には中央に太陽のような文様を置き、その周囲を同心円状に圏線(けんせん)と幾何学文様(きかがくもんよう)各種で飾る。側面も圏線と各種幾何学文様が巡る。展示は鼓面を上にしているが、出土品の形態及び現在の使用法から考えると、側面にある把手に帯を通し、横位にした銅鼓を首から下げ、打ち鳴らすようだ。
最初に製作されたのは雲南地域で、雲南地域と東南アジアを結ぶメコン川や紅河を通じて広まり、インドシナ半島一帯に広く分布するようになったと考えられている。古代中国の中原(ちゅうげん)地域では商周代以降、青銅器の中でも特に鼎(てい)や簋(き)などの大きさや所有数が皇帝や王たちの権力の指標として重視されていた。しかし、中国の南方地域では「北鼎南鼓」という言葉に表されるように、この銅鼓がそうした指標とされていたのである。
本品には見られないが、鼓面にカエルの小さな装飾がつくものが多く存在し、現在においても広西チワン族自治区などでは農耕と深く結びついたカエルの祭りで銅鼓が使用される例が散見される。古来より農耕儀礼との関わりの中で中国・東南アジアの広い範囲の人々の生活に根付いていったものであろうか。遠く離れた日本でも、カエルが描かれた銅鐸(どうたく)が出土するが、底流には同じ思想があるのかもしれない。
(岩戸晶子)
奈良国立博物館だより第83号. 奈良国立博物館, 2012.10, p.8.
おおむね漢代以降、中国の西南地方から東南アジアにかけて、青銅製のドラム「銅鼓」が発達する。雲南省の石塞山遺跡(せきさいざんいせき)では、青銅製の鍋を逆転させて太鼓として使用していた例が見つかっているので、その由来が推測できる。漢民族とは異なる少数民族の間で祭礼の道具として独特の文様をつけて発達し、拡散したらしい。
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