伝来不詳ながら、袍の上に袈裟を懸ける独特の服制から、伊豆山権現像と考えられる。近年の年輪年代調査で一一四五年という原木伐採の上限年代が示された。その作風には、やや素朴なおもむきがある。
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立烏帽子(たてえぼし)をかぶり、盤領(あげくび)の袍(ほう)と指貫(さしぬき)を着け、その上に袈裟(けさ)を懸(か)ける独特の服制から伊豆山権現像と考えられる。国有となる以前の所蔵者が静岡県所縁であることも、この尊名比定を補強する。右手には棒状の持物(じもつ)の柄が残存するが、『走湯山縁起(そうとうさんえんぎ)』や絹本著色諸神集会図(しょしんしゅうえず)(アメリカ、個人蔵)中の「走湯」と脇書される男神像を参考にすれば、左手に数珠(じゅず)、右手に錫杖(しゃくじょう)を執(と)った可能性が高い。ヒノキの一材から彫出し、袍と指貫には墨で団花文(だんかもん)をあらわす。年輪年代測定の結果、一一四五年という原木伐採の上限年代が示されており、制作は十二世紀後半以降と推定される。
(山口隆介)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.140, no.185.
立烏帽子(たてえぼし)を被(かぶ)り、盤領(あげくび)の袍(ほう)と指貫(さしぬき)を着け、その上に袈裟(けさ)を懸(か)ける独特の服制から、伊豆山権現像の一遺品と考えられる。伝来不詳ながら、平成七年(一九九五)に国有となる以前の所蔵者が静岡県所縁であることも、この尊名比定を補強する。かつては、伊豆山周辺のいずれかの社にまつられていたのだろう。いま右手には、棒状の持物の柄が残存するが、『走湯山縁起(そうとうさんえんぎ)』(東京・前田育徳会尊経閣文庫)や絹本著色諸神集会図(しょしんしゅうえず)(米国・バーンシュタインコレクション)中の「走湯」と脇書される男神像を参考にすれば、左手に数珠(じゅず)、右手に錫杖(しゃくじょう)を執(と)った可能性が高い。
木芯を正面前方に外したヒノキの一材から両足枘(ほぞ)を除く全容を彫出し、内刳(うちぐ)りはしない。表面は素地(きじ)に白下地彩色(さいしき)をほどこし、肉身肉色、眉・髪際・顎鬚(あごひげ)はそれぞれ墨描、黒目は墨彩、白目は白、上下瞼(まぶた)及び唇を墨線で縁取る。立鳥帽子・頭髪部・沓(くつ)は墨彩、袍と指貫には墨描による団花文(だんかもん)を散らす。袍の首回り及び袈裟は丹彩、袈裟の吊紐には赤色(朱彩か)をほどこしている。
平成二十四年(二〇一二)には、奈良文化財研究所による年輪年代調査が実施され、一一四五年という原木伐採の上限年代がしめされた。これにより、本像の制作年代は、切除された辺材部(へんざいぶ)に相当する少なくとも数十年分を加算した十二世紀後半ころがひとつの目安となり、それよりさらに下る可能性も考えられる。いずれにせよ、類品中屈指の古像とみられることに変わりはなく、そのいくぶん素朴な作風については、鎌倉時代後期以降の定型化した伊豆山権現像の姿とは異なる古様をしめすと解することもできるだろう。
(山口隆介)
伊豆山神社の歴史と美術. 奈良国立博物館, 2016.2, p.48, no.3.
静岡県熱海市に所在する伊豆山神社(いずさんじんじゃ)の祭神で、伊豆権現、走湯(はしりゆ)権現とも呼ばれ、温泉(走湯)が神格化された存在。同社は鎌倉幕府の手厚い保護を受けるなど、中世を通じて盛んな社勢を誇った。本像は烏帽子(えぼし)をかぶり、直衣(のうし)と袴(はかま)を着た上に、さらに袈裟(けさ)を着ける。仏教に帰依(きえ)した神の姿であり、神仏習合の所産であることを明示している。ヒノキを用いた一木造(いちぼくづくり)の像で、胸や肩には彩色文様の痕が見える。ややおおづかみな作風で、鎌倉時代も末の14世紀の制作であろう。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.112, no.146.

