『三宝絵』は、出家した冷泉(れいぜい)天皇皇女尊子内親王に奉るため、三宝(仏・法・僧)について源為憲(みなもとのためのり)が撰述した、全三巻の仏教入門書で、絵と詞書からなっていた(絵は現存せず)。永観二年(九八四)成立。
本品は保安元年(一一二〇)の奥書を持つ、現存最古写本の断簡(だんかん)である。料紙は、具引(ぐび)き(胡粉(ごふん)を塗る)した紙に、版木を用いて七宝(しっぽう)文様を雲母(きら)で刷り出す。本断簡は中巻第三話の末尾部分の七行にあたる。内容は、奈良時代、難波津(なにわづ)に到着した印度僧の菩提僊那(ぼだいせんな)を、東大寺大仏建立の立役者である行基(ぎょうき)が迎えて歌をかわす場面。
(斎木涼子)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, pp.276-277, no.216.
『三宝絵』は永観二年(九八四)に源為憲が尊子内親王に奉った仏教入門書で、三巻から成る。尊子内親王(九六六~八五)は冷泉天王の第二皇女で、『栄花物語』には「いみじう美しげに光るやう」と描写されているが、相次ぐ肉親の死去などにより、若くして出家を決意するに至る。『三宝絵』は悲哀に沈む十九歳の皇女を慰め励ます意味ももち、上巻は仏(釈尊の本生譚)、中巻は法(因果応報譚)、下巻は僧(法会・行事の来歴)という構成で、仏法僧の三宝について、説話を中心にわかりやすく解説している。これは保安元年の奥書をもつ『三宝絵』の現存最古本の断簡で、具引きを施した唐紙(からかみ)に雲母で七宝文様を刷り出し、中巻第三話の末尾七行を墨書している。内容は、難波津に着いた婆羅文僧正(ばらもんそうじょう)(菩提僊那(ぼだいせんな))を行基(ぎょうき)が迎えて歌をやり取りする場面で、婆羅文僧正の返歌以下が記されている。この「かひらゑ(迦毘羅衛)にともにちきりし云々」の歌は『拾遺和歌集』にも、収められ、説話自体も『今昔物語』や『沙石集』などに彩られている。行基と婆羅門僧正。大仏造立と大仏開眼の主役二人の説話が記された新出の断簡として注目される。「もす」は「文殊」。「野中廉」の「廉」は低本の「廣」を誤読したか。「景夷」は「景戒」が正しく、低本の「戒」を「夷」と誤読したのだろう。振仮名はのちの書き込み。本文に誤記が少なくなく、振仮名も誤記に従って付されている点は惜しまれる。
(西山厚)
大仏開眼一二五〇年 東大寺のすべて, 2002, p.220

