わが国では飛鳥時代以来、刺繍によって仏像を表す伝統があり、古くは亡き聖徳太子のために妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が発願した天寿国繍帳や、現存しないものの亡き天武天皇のために皇后であった持統天皇が発願し、薬師寺に安置されたという阿弥陀浄土の「繍仏像」などが著名である。
飛鳥から奈良時代にかけて盛んであった繍仏(しゅうぶつ)の制作は、平安時代になるとあまり行われなくなったようで、その遺品は極めて少ない。しかし、鎌倉時代後期、突如として多くの作例が知られるようになる。その多くが、ここで述べる阿弥陀三尊来迎図をはじめとして、梵字によって阿弥陀三尊を表現した種子(しゅじ)阿弥陀三尊図や、画面いっぱいに南無阿弥陀仏と刺繍した阿弥陀名号など、阿弥陀信仰との結びつきが極めて強い。
天寿国繍帳や薬師寺の繍仏像がそうであったように、繍仏の制作は特に女性の信仰と結びついているが、鎌倉時代以降の繍仏制作を考えるうえで見逃せないのが中将姫との関りである。高貴な女性の発願によって蓮糸で織られたという當麻曼荼羅の伝説は、技術的にはより平易であるものの、同じく染織技法である刺繍によって仏の姿を表すことに結びついていったのだろう。仏像の制作一般に言えることだが、法華経の有名な文言として、「綵画(さいえ)して仏像の百幅荘厳(ひゃっぷくしょうごん)の相を作るに自(みずか)ら作り、 若(も)しくは人をもせしめば皆、已(すで)に仏道を成(じょう)じたり」(方便品)とあることも、女性自らの手で行い得る繍仏制作が盛んになった要因と思われる。
ただし、今日残る作品には高度な刺繍技術が見て取れ、大部分の作業は専門職人が担ったと考えられる。実際に女性が制作に参加したかどうかは確かめようもないが、画面の中に往生者として女性の姿が表されているように、信仰上における女性と繍仏の関係は、連綿と受け継がれたことが窺える。そもそも、當麻曼荼羅の画題となった『観無量寿経』は、息子の阿闍世太子(あじゃせたいし)によって幽閉された韋提希夫人(いだいげぶにん)に対し、極楽浄土の様相と往生の様子などを釈尊が説くというもので、女性の救いが大きなテーマとなっている。
さて、作品の伝来と中将姫との繋がりに注目してみると、奈良博本の箱蓋裏には「阿弥陀如来 中将姫御真製 和州當麻寺重宝」という近世の墨書があり、もとは當麻寺伝来と伝えられている。近世の史料だが、中将姫に対する信仰の遺品として伝えられてきたことが知られるだろう。
次に図様から中将姫との繋がりをみてみよう。阿弥陀如来は大きな光明を放ち、観音菩薩と勢至菩薩を従えて、雲に乗り、画面向かって左から右方向に進む姿である。これは仏が西方の極楽浄土からやってきたことを示している。
阿弥陀如来は立ち姿で、両手の第一指と第二指を結んで輪を作り(上品上生(じょうぼんじょうしょう)の印)、観音菩薩は腰を屈めて瓔珞(ようらく)の下がる蓮台を持ち、その傍に立つ勢至菩薩は合掌をしている。これは『観無量寿経』にある「観世音菩薩、金剛の台(うてな)を執(と)り、大勢至菩薩とともに、行者の前に至る。阿弥陀仏、大光明を放ち、行者の身を照らし、もろもろの菩薩とともに、手を授けて迎接(こうしょう)したもう」という場面を表したものである。
奈良博本では本紙部分に往生者の姿はないが、やはり背景は緑色に縫(ぬ)い詰められており、水のイメージが窺われる。この水は彼岸(あの世)と此岸(この世)の隔たりを示しているのだろう。
刺繍技法としては刺(さ)し繍(ぬい)(針目の方向を一定にし、針足に長短をつけながら繍って面をうめる技法)を基本として、表具部分や衣の文様には上飾(うわかざ)り繍(平面を埋めた上からさらに文様を繍い表わす技法)が用いられ、装飾的で華やかな表現が目指されている。なかでも鎌倉時代以降に現れる特殊な刺繍技法として、これらの作品には黒糸に人毛を用いた髪繍(ほっしゅう)が用いられている。現存はしていないが、『玉葉』には文治四年(一一八八)五月二十九日に、女房三位局が亡者の遺髪で「阿弥陀之種字」を繍ったとあり、また『吾妻鏡』には正治二年(一二〇〇)正月十三日、源頼朝の一周忌法要に際し、御台所の北条政子が自らの髪を下して「阿字一鋪」を繍わせたとある。
本作品についてみても、仏菩薩の頭髪や阿弥陀如来における袈裟の縁や葉(縦横の区切り)、種子や往生者の髪などにおける黒い糸は全て人の毛髪である。刺繍に使えるほどの長さであることを考えても、これは女性の毛髪であろう。自らの分身とも言うべき髪を用いて仏の姿を表した女性の強い祈りが、これらの繍仏には繍い込められているのである。
(三田覚之)
中将姫と當麻曼荼羅-祈りが紡ぐ物語-. 奈良国立博物館, 2022.7, p.192, no.46.
向かって左上から右上に向け、斜め向きに来迎(らいごう)する阿弥陀(あみだ)三尊を刺繍で表した繍仏。往生者の乗る蓮台を捧げ持つ観音菩薩(かんのんぼさつ)を先頭に、合掌(がっしょう)する勢至(せいし)菩薩、左右ともに第一・二指を捻(ねん)ずる来迎印を結んだ阿弥陀如来が踏割蓮華(ふみわりれんげ)上に立ち、乗雲して飛来した様を表す。本紙の周囲には五色線がめぐり、萌黄(もえぎ)色の中廻(ちゅうまわ)しが配され、天・地には阿弥陀の四十八願を表すとされる円相中に収められ蓮台に乗った種子(しゅじ)・キリークが二十四字ずつ配されている。種子の配置から類推すると左右が若干切り詰められている可能性があるが、中廻しの状況から、大きな切り詰めはないものと類推される。全面に刺繍の施された総繍(そうぬい)の作品で、原装を概ね伝えているものと推察される。
刺繍は刺(さ)し繍(ぬい)を中心に用い、尊像の着衣に留繍(とめぬい)で文様(もんよう)が表される。尊像の頭髪、阿弥陀が着ける袈裟(けさ)の条葉(じょうよう)部及び田相(でんそう)部、観音・勢至の条帛(じょうはく)、裙(くん)及び裙の縁、阿弥陀の頭光(ずこう)の一部、表具に表された種子には髪繍(はっしゅう)が施されている。
赤、紫、青、浅葱(あさぎ)、緑、萌黄(もえぎ)、黄、白など多彩な色糸を使用し、華やかに荘厳(しょうごん)されている。また髪繍部分で、阿弥陀の袈裟の田相部と条葉部、菩薩の裙と裙の縁で、赤茶色の毛髪と黒髪を併用して使い分ける点は類例が乏しく、注目される。
図様的にも技法的にも中世に多く作られた刺繍阿弥陀三尊来迎図の一典型を示す作例といえ、繍技にやや緻密さを減ずる点が認められることや、尊像の表現に形式化が否めないことから、南北朝時代から室町時代前期にかかる時期に制作されたものと考えられる。
なお、箱蓋裏に、「阿弥陀如来中将姫御真製 和州當麻寺重宝」の墨書があり、中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説と結びつき、奈良・當麻寺(たいまでら)に伝わったことがわかる。
(清水健)
糸のみほとけー国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏-. 奈良国立博物館, 2018.7, p.276, no.93.
紫雲に乗って来迎する阿弥陀三尊を刺繍した作品。阿弥陀如来は踏割蓮華座に立ち、来迎印を結んでいる。条葉を黒、田相部を朱系色とした袈裟をまとい、長い光条を有する頭光を負っている。観音菩薩は腰をかがめ両手で蓮華座を捧げ、往生者を迎えんとする姿を表している。勢至菩薩は観音の後ろで同様に腰をかがめ、合掌している。三尊を表した画面の上下に、円相内に阿弥陀の種子キリークを二十四個ずつ計四十八個刺繍で表しているが、これは阿弥陀の四十八願を表現したものと思われる。刺繍は全面を刺繍で埋め尽くす総縫いで、地を浅緑色とし、三尊に紅、浅黄、紫、白色など各種の色糸を使用する。技法は刺し縫いが主であるが、随所に駒縫い(金糸など刺繍できない太い糸の上に別の糸を綴じつけて固定する技法)を用いる。また、螺髪や袈裟の各葉部、種子などに人髪を用いる。なお、付属の桐箱の墨書より奈良・当麻寺伝来であることがうかがえる。
(内藤栄)
女性と仏教 いのりとほほえみ, 2003, p.254














