薄い銅板を鋳銅製の仏像型(ぶつぞうがた)にあて、鎚(つち)でたたいて像容を打ち出す押出仏(おしだしぶつ)は、古代寺院で堂内荘厳(しょうごん)などに用いられた。この二面に表された観音像は法隆寺献納宝物202号の阿弥陀三尊押出仏(東京国立博物館)の左脇侍像と完全に同形同大で、頭上に大きな坐化仏(ざけぶつ)をつけ、斜め向きに立つ。202号の中尊と同形式の台座の一部がかすかにみえることから、三尊像の型に銅板をあて、左脇侍の部分だけを打ち出した品であることがわかる。独尊の観音像の量産が図られた背景には、古代における観音信仰の隆盛があろう。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.120, no.161.
大きな坐化仏を付ける観音菩薩の押出仏。蕨手状(わらびてじょう)となった火焔をもつ光背を表し、その上方に霊芝雲(れいしうん)を置くという形状は、法隆寺献納宝物202号の左脇侍と一致するもので、また像の右下方には中尊の台座の一部がかすかに見えることから、本例は202号の雄型浮彫り原型の左脇侍部を用いて造られたものと考えられる。また三尊像の内の左の観音像を独立して打ち出した例は他にも見られ、独尊としての観音の需要が高かったことを示すものでもある。
二面の関係に注意しておくと、その一がその二よりはっきりした像容を示していて、打ち出し状況が良い。二枚はほぼぴたりと重なり合い、それぞれの両長側の不整形さも同様であることから、二枚重ねて端を切り取ったのではないかと考えられる。また、周囲に見える釘穴も重なることから、この釘穴は重ねて切り取る際に用いられたものと推測できる。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.291, no.66.