棺(ひつぎ)の形を模(も)した舎利容器。中国・隋(ずい)代から宋(そう)代にかけて流行した形式である。もともと火葬(かそう)の習慣をもたない中国では、火葬骨である舎利もこのような土葬(どそう)の棺を写した容器に納めた。
題箋
総体を銅鋳造で制作し、鍍金を施した棺形舎利容器。下から基壇下層、基壇上層、天板、身槨、屋蓋の五部から構成されている。まず、基壇下層は三段の框座(かまちざ)に蝙蝠(こうもり)形の格狭間を透彫にした軸部を立ち上げる。框座初段の四側面には三重の同心同文を上下覗き文風に交互に配列し、二段目は四辺に沿って丸鏨による刻み文をめぐらしている。基壇上層は框座二段を鍛造による一枚の天板下面に鋲留めしており、これを基壇下層の軸部に載せる。また、天板上には身槨が鋲留めされ、さらにアーチ形の屋蓋板を載せる。天板の四隅および正面の縁近くの二箇所に孔が穿たれており、おそらく当初は高欄(こうらん)をめぐらしていたものと思われる。基壇には簡略ながら装飾文が施されているのに対して、身槨および屋蓋が現状では素文である点、舎利容器の荘厳として高欄などの装飾が施されていた可能性は十分考えられるものである。唐時代における舎利容器納入の制式の通例に照らせば、本作品もやはりこの中にガラス製などの内容器を納めた上で、さらに大きな外容器に奉安されていたものであろう。
(伊東哲夫)
仏舎利と宝珠―釈迦を慕う心, 2001, p.194

