平安時代には『法華経』の信仰が高まり、書写するだけでなく、料紙(りょうし)にさまざまな装飾が施された。本巻もその一つ。銀で界線(かいせん)を引き、界線の上下の欄外(らんがい)には、金と銀で蝶(ちょう)、鳥、草木などを描く。
題箋
界線を銀泥で引き、界線の天地に蝶・鳥・草木・花・楽器を描いた法華経。僚巻である巻第六の断簡が知られ、そのうち「随喜功徳品(ずいきくどくほん)」の一部が、写経手鑑(しゃきょうてかがみ)「紫の水」(奈良国立博物館蔵)に所収されている。
天地の絵は、金銀泥や薄い緑色の顔料(がんりょう)を用いて描かれている。類似する法華経断簡(個人蔵)に比べ、モチーフの描き方は素朴で簡略化されているものの、笙(しょう)や笛などの楽器は、他に比べやや大きく、細部まで丁寧に描かれている。書風は細手で軽やかである。また、墨によって書かれた経文には、書写からそう下らない時期のものと思われる送り仮名や振り仮名が施されており、国語学の資料としても注目される。これらは通常、日々の読誦(どくじゅ)やテキストに用いられる経典に書き込まれるもので、このような装飾経に実用的な仮名が施されるのは珍しい。
(斎木涼子)
まぼろしの久能寺経に出会う平安古経展. 奈良国立博物館, 2015.4, p.153, no.58.
奈良時代には滅罪護国の経典として尊重された『法華経』は、写経による功徳や女人成仏・悪人成仏などを説いており、平安時代に入ると、『法華経』を根本聖典とする天台宗の興隆に伴って、その信仰は著しく高揚した。そして法華八講などの行事が貴族社会で盛んになると、様々な装飾法華経が制作されるようになった。装飾方法には、文字の装飾(金字・一字宝塔・一字蓮台など)、見返しの装飾(見返絵)、料紙の装飾(下絵・染紙・色紙・金銀箔散らしなど)、経巻全体の装飾など様々な例がある。
これは、天地界の欄外に金銀泥で愛らしい鳥・蝶・草・樹木などを描いた『法華経』の巻第一である。界線は銀泥。経文には読み仮名や送り仮名が詳しく付けられており、国語学の資料としても注目される。この1巻のほかに、巻第六に含まれる「随喜功徳品」と「法師功徳品」の断簡(前者は写経手鑑「紫の水」の内)の存在が知られている。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.303, no.117.

