画面上方に春日社、下方に興福寺の主要諸堂塔を表し組み合わせる春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)。ただし、春日社部分は春日山・御蓋山(みかさやま)のある東方向を画面上方に、興福寺部分は伽藍(がらん)配置の正面観を尊重して北方向を画面上方に設定しており、現実景観において連続する二つの場でありながら、各々を描く視点は異なる。この組み合わせは多くの春日社寺曼荼羅に共通している。なお、春日社寺曼荼羅と呼ばれる作品には、本図や奈良・久度神社本のように、興福寺の諸尊像群を建築物なしに描くものと、もうひとつの奈良国立博物館所蔵春日社寺曼荼羅のように、興福寺部分も春日社と同様、上空から俯瞰(ふかん)した景観表現として表す作品とがある。
本図は画面四分の三を興福寺に当てこちらに重点を置く画面構成をとるが、この傾向をもつ現存作例は少なく、京都国立博物館所蔵興福寺曼荼羅(こうふくじまんだら)(十三世紀初頭)が最も近い。画面は彩色(さいしき)の剥落(はくらく)が目立つが、諸尊の衣を金色とせず彩色するなど、他の社寺曼荼羅とは異なる表現がみられる。衣文表現には古様が認められ、古い要素を持つ作品と思われる。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術ー特集 春日大社にまつわる絵師たちー. 奈良国立博物館, 2019, p.68, no.48.
画面上方に春日社、下方に興福寺の主要堂塔を表し組み合わせる春日社寺曼荼羅のひとつ。春日社寺曼荼羅には本図のように多くの建築物を取り払って興福寺の諸尊像群を描くものと、興福寺部分も春日社同様、上方から俯瞰した景観表現として表すものがある。現実景観において連続する二つの場であるが、春日社部分は御蓋山(みかさやま)のある東方向を画面上方に、興福寺部分は伽藍配置の正面観を尊重し北を画面上方に設定するため、実景とは異なる。この組合せは春日社寺曼荼羅の多くに共通する。本図は画面四分の三を興福寺にあて重点を置き、春日社は二ノ鳥居より先の景観のみを描く。本地仏(ほんじぶつ)は表さない。表現を見ると彩色の剥落が目立つが、諸尊の衣を彩色し、衣文に沿って金泥を暈(ぼ)かす表現は他の社寺曼荼羅と異なる。衣文表現には古様が認められ、古い要素を持つ作品といえる。
(北澤菜月)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.318, no.123.
画面上部に春日社の景観、下部に興福寺主要諸堂のさまを組み合わせて描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)。寺社それぞれの正面観を重視するために、本図を含めて多くの場合、春日社部分は東方、興福寺部分は北方を画面の上方にあてる。そのため実景を鳥瞰(ちょうかん)的に眺めるのでなく、二つの景観を合成した画面といえる。
また、本図のように興福寺主要諸堂の仏像群を、建築物をあらわすことなく描くのは、春日社寺曼荼羅の多くに共通する表現で、ここでは画面四分の三を興福寺の仏像群が占める。彩色は剥落(はくらく)しているものの、諸尊を描く墨線の下描表現などから制作は鎌倉時代と考えられる。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.66, no.49.
図の上方に、春日山と春日社の社景を配し、下方には興福寺の主要な諸堂に安置される仏像―下方から南大門(二王)、中門(二天)、五重塔、南円堂(不空羂索観音)、中金堂(釈迦如来、弥勒如来)、東金堂(薬師如来、文殊菩薩)、西金堂(釈迦如来、十一面観音)、講堂(阿弥陀如来)、食堂(千手観音)、北円堂(弥勒如来)―を表している。こうした春日社寺曼荼羅(興福寺曼荼羅とも)は、京都国立博物館本をはじめとして鎌倉時代の作例が数本知られている。春日社と興福寺との緊密な関係を図示したものと言えよう。表面の剥落が惜しまれるが、当初は濃厚な彩色に裏箔(うらはく)を併用したものと推測される。現状ではかえって下書きののびのある墨線が窺われて興味深い。ちなみに中金堂本尊衣文線の渦紋は、法華寺・阿弥陀三尊像にもみられる古式の表現である。
(梶谷亮治)
春日信仰の美術, 1997, p.26

