京都府亀岡市西南部、大阪府との境界付近に位置する大宮神社境内の仏堂には、かつて10体もの本格的な平安仏が安置されていた。いずれも同地にあった万願寺の旧仏とみられるが、うち9体が巷間(こうかん)に流出するという運命をたどった。本像はその中の1体。内刳(うちぐり)のない古式の一木造(いちぼくづくり)の構造、腰をひねって右足を浮かせる姿態、筒型の宝冠、面長に比して面幅が広い肉感的な頭部など、9世紀以来の正統的な密教彫刻の系譜を引く要素が目立つが、抑制の効いた彫り口、やや華奢(きゃしゃ)な上体の肉取りなどから、10世紀後半の作とみられる。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.101, no.129.
共木から彫出した筒形の宝冠を着し、右手を垂下して、左手を屈臂し、腰を左に捻(ひね)って右膝をゆるめて立つ。条帛・天衣・裳を着し、裳の両側下方に大きなたくし上げを作る。このスタイルの聖観音立像は、恐らく平安初期の木心乾漆造による密教像が展開したものと思われ、10世紀に入ると多く見られるようになる。その中でも、本像の特色は古様な表情と、胸から腰までが細身であることによって体部に動きが表出される点である。側面観においても、やや反り身の上半身は肉付けを減じ、腰以下に量感を表すことによって、抑揚ある姿を見せている。この種の菩薩像の典型が、優しい眠るような表情、柔らかではあるが抑揚のない体躯を見せるのとは少し異質である。もと亀岡市西別院町の大宮神宮境内の小堂に伝わった像である。
ヒノキ一木造で、内刳(うちぐり)は無く、両肩から先を別材とするが、左肩から先・右手先・両脚先等は新補される。現在は素地(きじ)を見せるが、もとは彩色仕上げであったろう。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.294, no.77.