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毘沙門天 -北方鎮護のカミ-

 四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は、須弥山(しゅみせん)世界の四方にいて、仏教世界や仏法を守るカミです。このうち北方を守護する多聞天は、「毘沙門天」の名で単独の像としても造像、信仰され、四天王のなかでも特別の存在でした。
 近年、毘沙門天像の優品が相ついで発見されています。奈良時代、8世紀制作と考えられる木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)の像(愛媛・如法寺)や、絵の中から抜け出てきたかのような激しい運動感を示す作例(京都・弘源寺)、保安5年(1124)の年紀銘が確認された平安彫刻の貴重な基準作例(個人蔵、米国・ロサンゼルス・カウンティ美術館保管)、また仏師運慶の流れをくむ作者の手になると見られる彩色の美しい鎌倉時代の作品(当館蔵)、あるいは密教修法における調伏法(ちょうぶくほう)に用いられた珍しい双身(二体合体)の像(奈良・東大寺)など、いずれも斯界(しかい)の研究進展に資する重要作例です。
 本展は、従来知られている毘沙門天彫像のなかから、とくに優れた作品を厳選し、それらを一堂に会することで、毘沙門天彫像の魅力を存分に味わうことのできる展覧会となります。

兜跋毘沙門天立像

重要文化財
毘沙門天立像
(福岡・観世音寺)

 
会 期 令和2年2月4日(火)~3月22日(日)
会 場 奈良国立博物館 東新館・西新館 第1室
休館日 毎週月曜日、2月25日(火)
※ただし、2月24日(月・振休)は開館
開館時間 午前9時30分~午後5時
※毎週金・土曜日は午後7時まで
※入館は閉館の30分前まで
※同時期に開催の特別陳列「お水取り」および名品展(なら仏像館・青銅器館)は休館日と開館時間が異なります。
観覧料金
  一般 高校・大学生 小・中学生
当日 1,500円 1,000円 500円
前売・団体 1,300円 800円 300円

※ 団体は20名以上です。
※ 前売券の販売は、令和元年12月4日(水)から令和2年2月3日(月)までです。
※ 障害者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料です。
※ この料金で、同時開催の特別陳列「お水取り」および名品展(なら仏像館・青銅器館)もご覧になれます。
奈良国立博物館キャンパスメンバーズ会員の学生の方は、当日券を400円でお求めいただけます。観覧券売場にてキャンパスメンバーズ会員の学生であることを申し出、学生証をご提示ください。

[前売券、観覧券の販売場所]
 当館観覧券売場、近鉄主要駅、近畿日本ツーリスト、JR東海ツアーズ、PassMe!、dトラベル、日本旅行、ローソンチケット(Lコード:53141)、チケットぴあ( Pコード:992-587)、イープラスなど主要プレイガイド、セブン-イレブン他コンビニエンスストア
 (チケット購入時に手数料がかかる場合もあります)

出陳品 37件(うち国宝2件、重要文化財18件)
◆出陳品一覧は こちらへ[PDF,527KB]
公開講座 2月15日(土)
「毘沙門天の源流を探る-インドからガンダーラ・西域へ-」
宮治 昭氏(名古屋大学/龍谷大学 名誉教授)
2月29日(土)「唐宋時代の毘沙門天像-王朝の守護神-」
佐藤 有希子氏(奈良女子大学文学部 准教授)
3月14日(土)「日本における毘沙門天像の展開」
岩田 茂樹(奈良国立博物館 上席研究員)
詳しくはこちら
その他 ◆なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA- パネル展示
オンラインゲーム「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」登場キャラクターの等身大パネル(毘沙門天および四天王)を、奈良国立博物館地下回廊(観覧無料)で展示します。
(パネル画像はこちら
○〔関連企画1〕  グッズ販売
奈良国立博物館特設ショップではオンラインゲーム「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」に登場する毘沙門天のグッズを先行販売します。既存キャラクターグッズも一部販売します。           
○〔関連企画2〕  毘沙門天オリジナルグッズ付きメニュー
奈良国立博物館地下回廊のレストラン「葉風泰夢」では、メニューにオンラインゲーム「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」に登場する毘沙門天がデザインされたオリジナルチケットホルダーを付けた商品を販売します。また、各テーブルにはオンラインゲーム「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」に登場するキャラクター のスタンドパネルを設置します。
※「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」とは人々の平和を脅かす「煩悩」を浄化するため現代に降り立った仏様の戦いを描く「本格バトルRPG」で、TOKYO MX他で2019年4月よりアニメ化もされました。「不動明王」「釈迦如来」など、よく知られている仏様が登場します。           
〔音声ガイド〕 スペシャルナビゲーター 斉藤壮馬さん
オンラインゲーム「なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-」の「毘沙門天」「多聞天」「難陀龍王(なんだりゅうおう)」の声を担当されている声優・斉藤壮馬さんがスペシャルナビゲーターを務めます。作品のみどころをわかりやすく解説します。(解説時間:約30分 貸出料金:600円(税込) )     
主催 奈良国立博物館、朝日新聞社、NHK奈良放送局、NHKプラネット近畿、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
後援 奈良テレビ放送
協賛 ライブアートブックス
協力 日本香堂、仏教美術協会
チラシ

チラシ(PDF,2.8MB)

主な出陳品

※画像をクリックすると、より大きな画像が表示されます。

毘沙門天立像

毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
愛媛 如法寺
木心乾漆造 彩色・截金・漆箔 像高28.1 cm
奈良時代(8世紀) 

 愛媛県南西部の城下町大洲(おおず)の如法寺多聞堂に伝来。江戸時代の地誌によれば、大洲藩士某が藩務のため大阪に在住の折、楠木正成念持仏と伝える毘沙門天像を信貴山(しぎさん)僧から譲られたという。
 体幹部、左腰以下、右膝以下の三部にヒノキの木心を組み、この上に布貼りを行い、乾漆(かんしつ)を盛り上げて造形している。両腕は木心ではなく金属心とする。毘沙門天像の黒目と、二軀の邪鬼のうち右方の邪鬼の黒目には、金属製の球を入れている。  
 このような木心乾漆造の技法は奈良時代(8世紀)に流行した。形状の特徴は、猪首(いくび)で太造りであること、裳裾(もすそ)を垂らさない軽快な服制であること。前者は唐招提寺講堂の伝増長天立像や大安寺の四天王像中の多聞天像等に近く、天平勝宝5年(753)の鑑真来朝以後の仏像様式の範疇(はんちゅう)で考えるべきもの。後者の裳裾を垂らさない服制は、東大寺や興福寺の奈良時代制作の天部形像に類例を見い出すが、平安時代以降はほぼ途絶する。  
 奈良時代には単独尊としての毘沙門天に対する信仰も定着していたことが確かめられ、本像も当初から独尊であった可能性は高い。

重要文化財 毘沙門天立像

重要文化財 毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
和歌山 道成寺
木造 彩色・漆箔 像高134.0 cm 平安時代(9世紀)

 謡曲「安珍清姫(あんちん・きよひめ)」の舞台として著名な道成寺に伝来。針葉樹(カヤか)を用いた一木彫像。当初の彩色や漆箔が確認でき、素地(きじ)像ではないが、平安時代前期のいわゆる檀像(だんぞう)彫刻に通ずる作風を示す。額上の地髪(じはつ)の鎬(しのぎ)をともなう彫法や、天冠台が外に開き、その上に花形の飾りが付くところは、檀像彫刻の代表作、京都・醍醐寺虚空蔵菩薩立像(国宝、9世紀)などに通ずる。  
 眼を大きく見ひらき、口をきつくへしめる面相は、魁偉(かいい)を通り越してユーモラスでもある。腰を思い切りひねり、また右腕も強くひねって戟(げき)をとるポーズにも、誇張に起因するおかしみがある。邪鬼が左手で頭を掻くようなポーズを見ると、作者は明らかに諧謔味(かいぎゃくみ)を意識していると推測される。中国・唐代の武人俑(ぶじんよう)には時おり誇張された姿勢と面相を示すものがあり、そのようなイメージも投映されているかもしれない。  
 木彫の毘沙門天像としては現存最古級。

重要文化財 毘沙門天立像

重要文化財 毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
岐阜 華厳寺
木造 彩色 像高168.2 cm 平安時代(9世紀)

 西国三十三所観音霊場の結願札所である谷汲山(たにぐみさん)華厳寺(けごんじ)に伝来。  
 連なった眉の下に睨(にら)みつけるような眼が開き、口辺をへしめた意志的な表情を見せる。革製を意図した甲冑(かっちゅう)は、冑(かぶと)の錣(しころ)の屈曲部や胸甲の縁などのしなやかな表現が特色で、他に類のないやわらかな質感がある。一方で甲冑の下にまとう衣には、峰状の襞(ひだ)と鎬(しのぎ)だった襞とをほぼ交互に繰り返す翻波式衣文(ほんぱしきえもん)を駆使したにぎやかな彫りが目について対照的。現状では煤煙(ばいえん)によって全身黒ずむものの、その下には彩色による文様(もんよう)がよく残されており、かつては華麗な姿であった。  
 左手を前に出して宝塔を捧げ、右手を下げて宝棒(ほうぼう)を握るポーズに烈(はげ)しい動きはともなわない。足先もあまり開かず、静かに佇立(ちょりつ)するかのようである。体幹部を貫いて縦に降りてゆく力感こそ本像作者の命題であったと思われ、運動感よりも力感あるいは重量感を重視した造形であろう。
(※展示期間 2/4~3/1)

毘沙門天立像

毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
滋賀 高尾地蔵堂
木造 彩色・漆箔 像高99.8 cm 平安時代(12世紀)

  滋賀県と三重県との県境に列なる鈴鹿山脈西麓の山里に伝来。平成27年(2015)に保存修理が実施された結果、当初の彩色(肉身の淡紅色)や漆箔(甲冑の覆輪など)が現れた。  
  長く後方に垂れる裳(も)を着け、垂下する袖をともなう衣をまとうが、袖先は小さく括(くく)られ、これが風になびくかのように側方に翻(ひるがえ)るのは、腰を左にひねり、右足を踏み出した軽やかな姿勢に呼応するものだろう。毘沙門天像本体に対して足下の邪鬼(じゃき)はやや粗彫りの風だが、このような現象は同時代にはまま認めうる。  
 武装形ではあるが、忿怒(ふんぬ)の相をあまり誇張せず、しなやかな姿態や繊細な着衣の表現が見どころ。典雅な気分の充溢する作風から院政期の作品と思われ、京都を中心に活動し、貴族や大寺院からの発注に応じた円派(えんぱ)ないし院派(いんぱ)に属する仏師の手になるものであろう。

毘沙門天立像

毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
奈良国立博物館
木造 彩色・漆箔 像高78.2 cm 鎌倉時代(13世紀)

 京都府八幡市の男山山上に鎮座する石清水八幡宮の境内に明治初年まで存した多宝塔の初層北側に安置されていた。  
 右肘を強く張ったポーズに特色があり、鎌倉時代初頭の著名な仏師運慶が造った、静岡・願成就院(がんじょうじゅいん)の毘沙門天立像(国宝、文治2年:1186)を想起させる。彩色については、金泥(きんでい)塗りを多用することや、截金(きりかね)は補助的な使用にとどまること、文様は幾何学文よりも雲龍・鳳凰・花葉などの具象的なモチーフが主となることが特徴である。  
 面部を見ると、比較的単純な曲面構成が、男性的で烈しい忿怒の相の表出に寄与している。足下の邪鬼も当初のもので、玉眼を嵌(は)めた面相には一種の生々しさがあり、姿勢には苦悶が満ちる。冑(かぶと)の錣(しころ)は別製として鎖で吊っている。金銅製の光背に付く火焔の表現も生彩に富む。鎌倉時代半ば頃の慶派(けいは)仏師の作と推測される。

重要文化財 毘沙門天坐像

重要文化財 毘沙門天坐像
[びしゃもんてんざぞう]
京都 清凉寺
木造 彩色・漆箔 像高79.9 cm 平安時代(12世紀)

 珍しい坐像の毘沙門天像。  
 深く内刳(うちぐり)を施して材の肉厚はたいへん薄い。体幹部の中央で上下に一度材を切り離す胴切(どうぎ)りと称する技法を採用し、かつ体幹部は基本的に前後二材ながら間に襠材(まちざい:主材の間にはさみ込まれる補材)をはさんで胴部の奥行きを増すなどの複雑な工程を経ている。類例は12世紀の奈良仏師の作に見えることが指摘され、本像作者の系譜を暗示する。  
 仁和寺本『別尊雑記(べっそんざっき)』に、足下に地天女(ちてんにょ)と尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)の二鬼が侍り、左脚を踏み下げて坐す毘沙門天図像が見え、比叡山延暦寺前唐院(ぜんとういん)安置の像である旨の注記がある。同様に左脚を踏み下げる本像は、腕に海老籠手(えびごて)を着けることや杏仁形(きょうにんけい)の目、半開の口等が「兜跋(とばつ)」形の作例に通ずること、現在の岩座が後補であることから、『別尊雑記』図像と同様に足下に地天女と二鬼が存しただろうと推測されている。

毘沙門天 毘沙門天 吉祥天 吉祥天

国宝 毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像
[びしゃもんてん・きっしょうてん・ぜんにしどうじりゅうぞう]
京都 鞍馬寺
木造 素地 像高[毘沙門天]175.7 cm[吉祥天]100.0 cm[善膩師童子]95.4 cm
平安時代[毘沙門天][善膩師童子](11世紀)[吉祥天](大治2年:1127)  

 毘沙門天像はトチ材を用いるとされる一木彫像。像容上の最大の特徴は左手を額にかざして遠方を見つめる姿勢を示すことで、他に類例を見ない。これは鞍馬寺から南方に位置する王城、すなわち平安京を見はるかすポーズとされるのだが、左肩から先は後補であり、当初からのかたちとは考えにくく、かつては宝塔を捧げていたと考えられる。右手には戟(げき)ないし宝棒(ほうぼう)を持ったか。  
 一見して重厚な体型に平安時代前期の彫刻の残映を認めるが、頭部には平安時代後期に通例の垂髻(すいけい)を表し、また外向きに開く天冠台が列弁の中に半截の円花文を間遠に並べる形式は、やや小さくはなるが基本形式の共通するものが天喜元年(1053)の京都・平等院雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)に見い出せることから、おおむね11世紀前半から半ばにかけての造立と考えたい。  
 髻前の冠には三弁の宝珠(ほうじゅ)が表されている。類例は京都・誓願寺像(本展出陳、出陳番号5)にも認められ、ともに福徳神的な性格を象徴すると考えられる。観音信仰と習合した鞍馬寺の毘沙門天にふさわしい図像と思われる。  
 吉祥天像は、像内に納入されていた経典奥書にある大治2年(1127)の年紀をもって造立年代と見なすことができる。願主のひとり重怡(じゅうい)は、阿弥陀念仏の行者で、その伝が『本朝新修往生伝』に収録されている。  
 善膩師童子像は、やはりトチ材を用いると見られること、側面観に見られる抑揚が吉祥天像に比べ強く大きいことなどから、毘沙門天像と一具同時の作と認められる。

毘沙門天立像

毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
個人(米国・ロサンゼルス・カウンティ美術館保管)
木造 彩色 像高210.1 cm  平安時代(保安5年:1124)

 像高2メートルを超える大像。
島根県奥出雲町の岩屋寺(いわやでら)旧蔵。古写真により、かつては吉祥天・善膩師童子像を脇侍としていたことがわかる。
  ファイバースコープを用いた調査によって、像内の内刳部(うちぐりぶ)に多数の墨書、墨画が発見された。詳細は未だ不明だが、「保安五年甲辰二(カ)月廿四日」の年紀が見いだされ、像の制作年を確定できることとなった。また像内胸部にある八葉蓮華(はちようれんげ)には、蓮肉中央ならびに八弁の蓮弁にそれぞれ一個ずつの毘沙門天種子(しゅじ)「バイ」が記される。その他、吉祥天種子「シリー」かと思われる文字や、真言陀羅尼(しんごんだらに)の類、僧名なども認められる。
 像容のうえで注目されるのは、冑(かぶと)前面に表された龍や、肩喰(かたくい)のマカラ風の怪獣の面、また旋転する顎髭(あごひげ)を蓄えた帯喰(おびくい)の鬼面などである。甲下縁近くの区画の唐草風の植物文様や、その下方にのぞくフリル状の着衣の表現も個性的。表甲に施された毘沙門亀甲文(びしゃもんきっこうもん)も凹凸に富み、総じて装飾的な彫法が顕著である。

重要文化財 双身毘沙門天立像

重要文化財 双身毘沙門天立像
[そうしんびしゃもんてんりゅうぞう]
京都 浄瑠璃寺
木造 彩色・漆箔 像高6.9 cm 平安時代(12世紀)

 浄瑠璃寺には、像内銘により仁治2年(1241)に南都の仏師によって造立されたことのわかる馬頭観音(ばとうかんのん)菩薩立像が伝来する。本像は、この馬頭観音像の修理時に、像内から発見された。
 後頭部から膝裏に至るまでの背面を密着させ、断面俵形を呈する台座上に立つ2体の武装形合体像。(その1)像は腹前で合掌し、指先に金輪(輪宝)を載せている。(その2)像は指先を下向きにして股間で合掌し、第三指先には小さな突起が認められ、おそらく独鈷杵(とっこしょ)を執ったものと見られる。二体の口辺から垂下する紐のようなものは牙であり、ともに両腰脇を通って反対側の像のそれにつながっている。
 双身毘沙門天を本尊とする双身法(そうしんほう)について記す『阿娑縛抄(あさばしょう)』巻第百三十七により、福徳法ならびに愛敬法(あいぎょうほう)の本尊となる尊像と知られる。
 従来、納入されていた馬頭観音像と同じ仁治2年頃の制作とされてきたが、腰回りの肉付きの豊かな体型や、やわらかな肉取りから、平安時代後期(12世紀)にさかのぼる作と思われる。

勝敵毘沙門天立像

勝敵毘沙門天立像
[しょうじゃくびしゃもんてんりゅうぞう]
奈良 東大寺
木造 素地 像高37.8 cm 鎌倉時代(13世紀)

 二体の武装天部形が背を接し、各一体の腹ばいになった邪鬼(じゃき)の上に立つ。(その1)像は、宝塔と宝棒を、(その2)像は羂索(けんさく)と戟(げき)を執ったと見られる。口辺から長い牙が伸び、二体のそれが連続している。
 本像と像容の一致する白描図像(はくびょうずぞう)が、京都・観智院(かんちいん)本『仏菩薩等図像』中の「金輪図像(こんりんずぞう)」に見える。そこには「勝敵毘沙門」の添書があるので、本像の尊名が勝敵毘沙門天像であることが判明する。
 文献に、後鳥羽院を戴く朝廷勢力が鎌倉幕府と対峙した内乱、承久の乱の勃発直前の時期に、清水寺の住僧らが勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)菩薩像と勝敵毘沙門天像を造り、安居院流唱導(あぐいりゅうしょうどう)の名手聖覚(せいかく)を導師として供養の法会を行った史料がある。この法会には後鳥羽院の近臣が関わっていることから、その願意として幕府に対する調伏(ちょうぶく)があったものと推定されている。秘密修法の本尊となる尊像である。

毘沙門天立像

国宝 毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
京都 東寺(教王護国寺)
木造 彩色・漆箔 像高189.4 cm 中国 唐時代(9世紀)

 かつて平安京の羅城門(らじょうもん)の楼上に安置されており、門の顛倒の後、東寺に移されたと見られてきたが、その根拠となった文献史料の検討により、これを確定することは困難となっている。ただし中国において楼上に毘沙門天像を安置する例はあり、本像がこれにならった安置法ではなかったという確証もない。
 正面に鳥形を表した四面の宝冠をかぶり、腕には海老籠手(えびごて)と呼ばれる輪を連ねたような防具を着け、長い外套状の金鎖甲(きんさごう)といわれる甲をまとう。両足下に唐草風の植物文(宝相華か)の間から上半身を表した地天女(ちてんにょ)がおり、その両掌上に足を開いて立つ。地天女の両側には両手を胸前で交差させる尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)の二体の鬼形が侍る。このような像容を示す毘沙門天像を「兜跋」毘沙門天像と呼ぶのが通例となっているが、「兜跋」の語源は定かではない。
 使われている木材は、最近の科学的分析によって中国産のクスノキ科の樹木(日本のクスノキとは別種)と判定された。これによって中国における制作であることは確かとなる。瞳に黒石を嵌めたり、瓔珞(ようらく)や甲の表面に練物(ねりもの)を盛り上げて塑形する技法も他の大陸の作例に認められる。

毘沙門天立像
(写真提供:便利堂)

重要文化財 毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
福岡 観世音寺
木造 彩色 像高160.0 cm 平安時代(9世紀)

 等身大の立像。材は九州地方の古仏に多いクスノキで、当初からこの地に伝来したか。
 唐式の革製甲に身を包んでおり、東寺像のような西域風の装いではない。文献史料によれば、比叡山根本中堂内の文殊堂には二軀の「堵(屠)半様(とばんよう)」の像が安置されていた。これは「兜跋」形毘沙門天像を意味すると思われるが、うち一軀は最澄自刻で細身の像、一軀は比叡山の俗別当(ぞくべっとう)であった伴国道(とものくにみち)発願(ほつがん)の太身の像であったという。一説に、比叡山文殊堂の細身の像は西域風甲制の像であり、太身の像について、唐式甲制の観世音寺像をもって同じ特徴を備えるものとみなす見解がある。比叡山伝来の所伝を有する米国・ボストン美術館所蔵の毘沙門天画像において、地天女の後ろに見え隠れする二鬼形が描かれているが、この点は観世音寺像も同じなので、本像が天台系の図像を継承する蓋然性がある。

毘沙門天立像

愛媛県指定有形文化財 毘沙門天立像
[びしゃもんてんりゅうぞう]
愛媛 金竜寺
木造 現状素地 像高174.5 cm 平安時代(9~10世紀)

 南予地方の城下町大洲(おおず)の市街地から、北へ8キロほどの山間の高地にある手成(てなる)の集落の人々によって守り伝えられてきた。
 全体に材のやつれは否めないが、地天女(ちてんにょ)が下半身を失いつつも足下に存するので、「兜跋(とばつ)」形の毘沙門天像であることはまちがいない。表情も判然とはしないが、おそらくは眼をかっと見ひらく威圧的な容貌であったのだろう。猪首であり、量感のある重厚な体型を示す。これだけの大きな像でありながら、両腕まで含み像の大半を広葉樹の巨木一材から刻み出す豪快な木取りである。
 金竜寺に残る棟札(むなふだ)に、本像が天長元年(824)3月3日に何処からか飛来したことが記され、像の制作年代との関連を検討する必要がある。体型あるいは飛び出た大きな眼は、たとえば奈良・興福寺東金堂の四天王立像(9世紀)等を想起させる。

尼藍婆・毘藍婆坐像 尼藍婆・毘藍婆坐像

重要文化財 尼藍婆・毘藍婆坐像
[にらんば・びらんばざぞう]
岩手 三熊野神社毘沙門堂
木造 彩色 像高[左方像]89.4 cm[右方像]99.2 cm
平安時代(10世紀)

 征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が北辺の守護神として造立したという伝承のある像高4.73メートルに達する巨大な「兜跋」形毘沙門天像に付属する二鬼形像。
 左方像は額上の髪を少し見せつつ被り物をかぶっており、口は閉じ、両下牙が上向きに出る。一方の右方像は額まで完全に被り物で隠すようで、上歯列で下唇を噛み、さらに両上牙を下出させる。表現のうえでそのような相異があり、表情も少し違え、なおかつ像高にして約10センチの差があるが、逆側の腕を前に出して交差させ、また逆側へ顔を向けつつ頭部を傾げる左右対称性を意識した造形であり、当初より一具のものと見ることに問題はない。ともに膝をつく跪坐(きざ)の姿勢だが、背面に見える両足裏が、足先を臀部の中央へ向ける独特の坐り方を示している。