当館が所蔵する仏像彫刻の白眉(はくび)で、明治初年の神仏分離以前は京都東山の若王子社(にゃくおうじしゃ)に伝わった。両手先や螺髪(らほつ)を除き、台座蓮肉(れんにく)部を含めた全身をカヤの一材より彫出し、内刳(うちぐり)は施さない。表面に黄土(おうど)を塗って檀色(だんじき)にあらわした可能性があり(一部の漆箔(しっぱく)は後補か)、抑揚に富んだ顔立ちや鋭い彫り口の衣文(えもん)は檀像(だんぞう)の特色を顕著に示す。脚部が薄く膝が蓮肉からはみ出す表現や、茶杓形(ちゃしゃくがた)を交える衣文の彫法、意匠化された耳の形などに承和十一年(八四四)の開眼とみられる京都・教王護国寺(きょうおうごこくじ)(東寺)講堂諸像との近似を指摘し、同時期の同一工房による制作とみなす見解がある。
(山口隆介)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.119, no.153.
当館が所蔵する仏像彫刻の白眉(はくび)で、明治初年の神仏分離以前は京都東山の若王子社(にゃくおうじしゃ)に伝わった。両手先や螺髪(らほつ)を除き、台座蓮肉部を含めた全身をカヤの一材より彫出する。表面に黄土(おうど)を塗って檀色(だんじき)にあらわした可能性があり(一部の漆箔(しっぱく)は後補か)、抑揚に富んだ顔立ちや鋭い彫り口の衣文(えもん)は檀像(だんぞう)の特色を顕著に示す。脚部が薄く膝が蓮肉からはみ出す表現や、茶杓形(ちゃしゃくがた)を交える衣文の彫法、意匠化された耳の形などに承和十一年(八四四)の開眼とみられる京都・教王護国寺(きょうおうごこくじ)(東寺)講堂諸像との近似を指摘し、同時期の同一工房による制作とみなす見解がある。
(山口隆介)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.269, no.167.
もと京都・東山の若王子社(にゃくおうじしゃ)に安置されていた像。両手首先や螺髪(らほつ)などを除き、台座蓮肉部までを含めて、カヤの一材から造り、内刳(うちぐり)は行わない。抑揚に富んだ造形で、着衣のひだの彫りもまことに流麗かつシャープである。容貌にはどこかインド的な面影がただよう。様式からみて制作期は9世紀の半ば頃と考えられる。若王子社は12世紀に勧請(かんじょう)されているので、本像の造立当初の安置場所は不明。表面に黄土が塗られ、ビャクダンの樹肌に似せたいわゆる檀色像(だんじきぞう)とする説があるが、一部、黄土の上にさらに漆箔(しっぱく)が認められる。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.99, no.125.
平安初期彫刻の著名な木彫仏で、もと京都市左京区の若王子社(にゃくおうじしゃ)の本地仏であったと伝える。明治四年に社から離れて流転し、国有になり当館の所蔵となった。本像は両手首を除くほかは、本体および蓮肉部までを白檀の代用木である栢(はく)(榧)の一材から丸彫りし、内刳(うちぐ)りは行わない。現状、蓮肉の下方を切り詰めるが、この作為は中世、ご神体として改変された時のものといわれる。全身を黄土(おうど)で彩色し、胸に光焔と卍字が朱描きされるが、近年の学説によってこれは後補ではなく、黄色白檀を貴ぶ檀像彫刻の「檀色」仕上げ法と考えられている。この彩色法が本地仏の仕上げに発展・継承されたともいえようか。長い頭部に対して目鼻を下方に位置し、眉目の切れが長く、顎を小さくつくる特異な面相、なで肩で猫背気味に背を丸めて臂を外に張る体型、膝頭が蓮肉から外にはみ出した足組み、切れ味鋭い彫刻刀の捌きなど、これらの造形力は強さと確かさが充溢しており、九世紀の木彫の魅力が十分にあらわれている。若王子社は平安後期、禅林寺(永観堂)の鎮守社として熊野権現が勧請された時に始まるが、本像の制作時期はそれより遡り、若王子の本地は十一面観音であることからも早くに疑問点が提示されていた(松田福一郎『実験仏教芸術の鑑賞』)。最近の伝聞によると、本像はもと現社務所の裏側(東山側)にあった「地仏堂」(宝形造)に安置されていたという。現在、文化十三年(一八一六)銘のある宝珠(瓦製)が初期保管されている。「兎にも角にも、維新以前迄は、本薬師が若王子の御神体であった事は、確定の事証であって、疑いを容れ得ないのである。」(前掲)と指摘される一文は、百三十有余年の歳月が過ぎてはいるものの、もう一度確認しておきたい事項である。
(鈴木喜博)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.291
京都東山の若王子(にゃくおうじ)社の本地仏と伝えられ、明治の神仏分離の際に民間に流れ、のち国有になった像である。伏し目の表情、なで肩で適度な張りと厚さの脚部など、落ち着いた気分が全体に漂う。しかし、目や口の彫り込み、衣文線の鋭く自由な彫技は力強く、耳や足裏などにも生彩ある表現が見られる。構造などは京都・東寺講堂の五菩薩像と近いが、よりまとまった観があるのは、東寺像より遅れおおよそ9世紀半ば頃の製作と考えられる。また大阪・四天王寺阿弥陀如来坐像が最も近しい表現をみせる像として注目される。
カヤの一材より蓮肉を含めて彫成し、内刳(うちぐり)は施さない。木心は蓮肉前方先端の中央にある。これに木製の螺髪(らほつ)を植え付け、両手先を矧ぎ付ける。蓮肉部では背面に二枚の光背様L型金具を取り付けていた痕跡があり、底部の一部が切り取られる。現在の八重蓮華座は新補。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.293, no.75.