華鬘(けまん)は、貴人に生花の花輪を捧げる古代インドの風習が仏への供養法として仏教に取り入れられたもので、やがて花輪を木や金属などの別素材で作り、堂内を飾る荘厳具(しょうごんぐ)として使用されるようになった。本品は京都市の東寺(とうじ)に伝来した牛皮製の華鬘で、現在はほぼ原形をとどめる十三枚と残片が残る。厚手の牛皮に漆塗りと白土下地を施した上、迦陵頻伽(かりょうびんが)(極楽浄土に住む人面の鳥)や宝相華文(ほうそうげもん)を彩色(さいしき)し、地(じ)を切り透かしている。中には宝相華文(ほうそうげもん)を線刻(せんこく)した金銅製の懸金具(かけかなぐ)を残すものもある。平安後期の華麗な堂内荘厳の様をうかがわせる優品である。
(三本周作)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.261, no.117.
華鬘は仏殿内陣の長押(なげし)などに懸けられた荘厳具(しょうごんぐ)で、起源は古代インドにおいて貴人に捧げられた生花で作られたレイのような花輪であると言われる。本品は京都・東寺旧蔵の牛皮(ごひ)製、団扇形の華鬘で、現在本品を含め13枚と残片が当館に所蔵されている。寺伝では応徳3年(1086)の塔供養の荘厳に用いられた具と伝えるが、この一群の華鬘は当初から一具をなしたものではなく、寺内の各堂から集められた感が強い。いずれも牛皮を透彫し、表裏に彩色をほどこしている。大別して宝相華(ほうぞうげ)唐草迦陵頻伽対向文と宝相華唐草文の二系統が見られる。登号は宝相華を背景に総角(あげまき)をはさんで向かい合う2羽の迦陵頻伽(かりょうびんが)(極楽にいる半人半鳥の瑞鳥)を表しており、鮮やかな彩色と精緻な截金や金銀切箔(きりはく)の手法を用いている。呂号は宝相華唐草文を暈繝彩色(濃淡や色調の違う色を隣り合わせて立体感やぼかしの効果を生む技法)で表す。双方とも地板の一部と覆輪を欠く。団扇形の牛皮華鬘の遺例としては最古の品。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.286, no.38.
東寺旧蔵の牛皮製、団扇形の華鬘で、表裏に彩色を施す。この一群は原型をとどめるもの十三枚と残片類からなるが、文様構成、法量に相異がみられ、当初から一具をなしたものではない。いずれも牛皮を切り透かして文様をあらわすが、大別して宝相華唐草迦陵頻伽対向文と宝相華唐草文の二系統がみられ登号は前者の、呂号は後者の代表的な遺例である。登号は上端部、覆輪を欠くが、表裏に残された彩色は鮮やかで、精緻な切金や金銀切箔の手法を用いた平安仏画の特色を良く残している。呂号は宝相華唐草文を暈繝彩色であらわしたもので、覆輪と下方の一部を欠くのがおしまれる。中央地板にあらわされた総角形は自由な描線であらわされたきわめてのびやかなもので、華鬘の本義を忠実に踏襲した造形と思われる。寺伝では応徳三年(一〇八六)の東寺塔供養の際の荘厳に用いられた具と伝えているが、内容からみると寺内の各堂から集められた感がつよい。経年のため、保存状態は必らずしも良好とはいいがたいが、団扇形の牛皮製華鬘の遺例としては最古の品であり、平安時代の仏画の資料としても貴重である。
(阪田宗彦)
密教工芸 神秘のかたち, 1992, p.254
華鬘は、もと生花でつらね身を飾ったインドの装身具のこと。仏教にとり入れられて仏菩薩に献じる供花のこととなり、転じて仏殿の長押にかけられて、生花供養を意味する堂内荘厳具をさすこととなった。わが国でも早くから知られ「華鬘代」として古い文献に散見する。奈良時代から平安時代にかけての遺品には牛皮製彩色の比較的大形のものが多く、当時の絵画資料としても貴重である。本館が蔵する牛皮華鬘は十三枚と残欠が一括して東寺に伝わったもの。技法的にみて数種に分類できるが、制作時期はほぼ同じ頃とみられる。登号と知号はいずれも牛皮に漆を塗ったのち、白土で下地をこしらえ彩色する。生花に見立てた宝相華とそれをたばねる総角(あげまき)形の紐を表わし、その左右に供花の態をとる迦陵頻伽が対向する。迦陵頻伽は白肉身に朱隈を施し朱肉線で描き起し、その着衣には細かい文様をちらし截金線をひき、装身具に金銀の小截箔を用いるなど本格的な手法によっている。宝相華は、いわゆる紺丹緑紫の配色を暈繝(うんげん)で表わし、截金を併用する。また茎には金箔を押した上に、朱や白緑の色線でくくるなど、総体に大らかな雰囲気を伝え当時の仏画の彩色技法をよく反映しているとみられる。奴号は、牛皮に直接白土で下地をつくり彩色する。截金線は用いない。同前の構図でやや小ぶり、鋭い描線を使い作風を異にする。呂号は、牛皮に直接白土で下地をつくり彩色する。大形の華鬘で、宝相華のみを表わす。配色には紺丹緑紫の原則があり、それを暈繝でぬり、すべて白くくりとする所に特色がある。残欠一号は、登号、知号にちかい技法だが面貌にさらに細緻な表現がある。ところで『東寺塔供養記』には応徳三年(一〇八六)の五重塔落成式の際に華鬘代等が用いられたことが記され、百合文書『東寺新造仏具等注進状』には庚和三年(一一〇一)の花曼十一枚の新造を伝えている。本館蔵の牛皮華鬘はただちにこれらに比定できるものではないが、古式な大らかさを残す点、様式的にはこのころにおいて大過ないものと思われる。
(河原由雄)
平安仏画―日本美術の創成―, 1986, p.198