頭部に戴(いただ)いた大きな坐化仏(ざけぶつ)と、伸びやかですらりとした姿態が目を引く菩薩像。頭頂から台座までの全容を一鋳(いっちゅう)し、像内は蓮肉部以下が空洞で、それより上を無垢(むく)とする。後頭部に光背(こうはい)支持用の角枘孔(ほぞあな)を穿(うが)ち、天衣(てんね)及び請花(うけばな)の各蓮弁の縁には、複連点文(ふくれんてんもん)(二つの点を一単位として、それを連ねて表した文様(もんよう))をほどこす。表面に鍍金(ときん)や彩色の痕跡は確認できず、いま黒褐色を呈している。右手を腹部にあてて第一・二指で瓔珞(ようらく)をはさむ仕草が特徴的で、細部形式の若干の相違を除けば、ほぼ同形同大で作風も似通う作品が法隆寺(ほうりゅうじ)献納宝物中に存する(N‐一八二)。また、やはり細部に小異はあるものの、ほぼ同大で左右を反転した姿の像が東京・海蔵寺(かいぞうじ)と高知・金剛頂寺(こんごうちょうじ)にそれぞれ伝わる(ただし後者は、腹部に手をあてるが瓔珞はあらわさない)。このうち海蔵寺像とは、螺髻(らけい)のように、左右で渦を巻く髻(もとどり)のかたちまで一致する点が注意されるが、本像には背面の造形に簡略化の傾向も見てとれる。これら四軀の来歴は、必ずしも明らかではないが、現所在あるいは伝来地が広範にわたる点からすれば、何らかの特別な由緒をそなえた像が複数制作され、一定の広まりをみせたと想像することもできるだろう。腹部で瓔珞に手をあてる姿の意味については、瓔珞が宝玉(ほうぎょく)を連ねたものであることに着目して、奈良・法隆寺救世(ほうりゅうじくせ)観音像を典型とする飛鳥時代に盛行した宝珠(ほうじゅ)を捧(ささ)げ持つかたちから展開したものと解する説がある。具体的な展開のあり方もふくめ、なお考究の余地があろう。
(山口隆介)
開館一二〇年記念白鳳―花ひらく仏教美術―, 2015, p.246
大きな坐化仏(ざけぶつ)を頭飾の正面につけ、おだやかな微笑を浮かべた観音菩薩像で、すらりと伸びた肢体が独特の魅力を放つ。臘型(ろうがた)の一鋳で制作されており、蓮肉部まで中空で、体部はムクとしている。右手を腹にあてて瓔珞(ようらく)をはさむが、同様の手の表現は法隆寺献納宝物182号(東京国立博物館)、東京・海蔵寺、高知・金剛頂寺などの観音菩薩像にもみられる(このうち金剛頂寺像は瓔珞に手を添えない)。これら諸作例は様式的にも本像に近く、特定の由緒ある像の姿を範として、複数の像が制作されていた可能性を示す。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.119, no.159.
大きな坐化仏をつけ、右手は腹上に当てて瓔珞を挟(はさ)み、左手を垂下する観音菩薩立像。左手は指を曲げるが、持物等は現在認められない。細身で良く伸びた優しげな体躯が、柔和な表情とよくあって、白鳳仏に一般的な寸の詰まった童子形像とは一種異なる魅力を備えている。この他、体型のなかでは両足が大きいのが特徴。臘型(ろうがた)の一鋳で作られ、蓮肉部までを中空とし、体部はムクである。後頭部に光背用のほぞ穴をあける。
本像にも極めて近い像がいくつか見出される。法隆寺献納宝物182号及び東京・海蔵寺、高知・金剛頂寺の観音菩薩立像等である。これらの像の関係は、全く同じ表現のみならず、左右の手の位置を逆にしたり、細部意匠を変化させたりしている。これらが同一工房内での作者の違いか、あるいは時間的な前後関係によって起こるものなのかは興味深い問題である。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.292, no.70.