金銀泥(きんぎんでい)で彩られた飛雲の上に 明るい体色の鹿が立ち、多彩な障泥(あおり)や胸懸(むながい)・尻懸(しりがい)などと共に鞍(くら)を着け、その上に立てた榊(さかき)の枝には藤の蔓(つる)が絡(から)まって花房(はなぶさ)を垂らす。枝先の五箇所に垂(しで)を結え付けた上に、それぞれ仏菩薩(ぼさつ)の立像が浮かび上がる。向かって右から、文殊(もんじゅ)、釈迦(しゃか)、薬師(やくし)、地蔵(じぞう)、十一面観音(じゅういちめんかんのん)とみられ、順に春日社の若宮および本社第一殿から第四殿までの祭神の本地仏(ほんじぶつ)にあたる。榊と本地仏全体を背後から包むように金色の円相(えんそう)が配され、その外周にも光をにじませている。下端部の霞の途切れた所に、一の鳥居とそこから上へ伸びる参道、斜めの小道、松や桜が生えた野に遊ぶ鹿など、春日社の入口付近の風景が現実に即して表される。春日神の影向(ようごう)すなわち出現を、実際に起こっていることと感じさせる要素といえよう。上部にも霞の上に、種々の樹木が生い茂る御蓋山(みかさやま)が浮かび、左端に緑の若草山が覗き、そして奥には松林に桜を点じた春日山が暗く横たわる。明るく白む空が深い青の上空を追いやるように広がる中に、赤く縁取られた金色の日輪(にちりん)が現れている。厳(おごそ)かで且つ明朗な雰囲気の漂う空間である。
鹿に乗るのは、春日社の縁起にいう、本社第一殿の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の、常陸(ひたち)国鹿島から春日の地への移座伝説に基づいており、それを描く「鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)」と関係はあるが、神像の代りに、後世の動座に用いられた形式である榊の枝を鞍上に乗せ、さらに本社第一殿だけでなく第四殿までと若宮を合わせて五神を表すことにより、説話性が後退し影向を主とする別種の図になっている。このような図を一般に「鹿曼荼羅(しかまんだら)」と称するが、その諸遺品は神木部分の表現に変異を示し、本図の場合枝先に本地仏像が出現し、円相も榊に取り付けた鏡を表す通常の形ではなく光背の役割を果たすのが特異で、幻想的な趣が強い。
(中島博)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2008, p.63, no.48.
棚引く霞の中に雲に乗った白鹿が浮かぶ。霞の下には参道へと続く鳥居があり左右では鹿が群れる。上部には春日の御蓋山と春日山が描かれ、山の端には金色の円相がみえる。春日の情景である。動きを見せず背後を振り返る鹿の背の鞍からは神木である榊の枝が伸びる。枝には五本の垂が結わえられており枝先に五体の仏菩薩が立つ。これは春日諸社の本地仏であり、向かって右から文殊(若宮)、釈迦(一宮)、薬師(二宮)、地蔵(三宮)、十一面(四宮)である。本地の立つ榊の背後には金色の円相が表される。春日の神鹿を中心に描く鹿曼荼羅と呼ばれる形式の絵画は、春日の一宮となる武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国鹿島よち御蓋山へと降り立ったという伝説を描く。鹿に乗る神の姿を貴人形で描く作例もあるが、人形(ひとがた)を表わさぬ本図の形式では、榊の上に鏡を載せた神の依り代を鹿の鞍上に置くことで神の存在を象徴させる。同形式の作品は幾つも作られているが、本図では榊の上の御正体を現実の鏡を写実するのではなく、仏菩薩の光背のような、立体感を消失させた円相を鹿の背後に表わしており、御正体そのものの絵画化から一歩を踏み出す表現となっている。
(北澤菜月)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.286
神鹿が雲に乗って春日の地に飛来する形は「鹿島立神影図」と共通するが、鞍上には神像に代えて神木の榊を立てる点で異なり、草創縁起から外れて、春日神の出現を象徴的に表わす図となっている。この種の図を「鹿曼荼羅」と称するが、神木部分の表現に、諸本で変異を生じる。本図の場合、榊に本社四所と若宮に相当する五本の垂(しで)を結え付けるという通例の形式に加え、その五箇所の枝に乗る形で、五所の各本地仏像を表わしているのが特徴的である。また榊の全体に藤原氏ゆかりの藤の蔓(つる)がまつわって花房を垂れる華やかさが珍しく、神木全体をまとめ引き立てる光背の役割をする金色の円相も、榊に円鏡を取り付けるという、よくある形式と異り独特で、荘厳さを添える。 図の上下には、霞(かすみ)の棚引く春日野(かすがの)に浮かぶ御蓋山と春日山、および普通の鹿が群れ遊ぶ一鳥居周辺の景色を写生感豊に描き、超現実的な像に生々とした現実性を与えている。