十一面観音は変化観音(へんげかんのん)のうち最もポピュラーな尊格として、奈良時代以降盛んに造像されてきた。本図は平安時代に遡る絹本の礼拝画像として唯一の十一面観音像であり、保存状態は極めて良好。豊麗な彩色と大ぶりながら精緻な截金文様をたたえており、わが国における仏教絵画を代表する名品である。現状では頭上に頂上仏面を含めて十一面を描き表すが、近赤外線写真等により製作段階で頭上面を一面加える改変が行われていることが判明し、改変前は奈良時代の彫像などに多い頭上十面の像容だった。また通例の密教の本尊画像が正面向きに描かれるのと異なって斜め左向きに描かれること、右手の掌を内側に向ける特殊な与願印を表すことなど、他の平安後期における仏画には見られない特色ある図像を示している。これらの図像上の特色は、奈良の地に継承された古い図像に依拠したことによるものと考えられ、具体的には奈良時代に成立した図像を源流としている可能性が高い。さらに観音の肉身に朱の強い隈取りを施すのも本画像の際立った特徴であるが、これも奈良時代から平安時代初期に描かれた古い仏画の伝統を受け継ぐものと考えられる。このような本画像に見られる奈良朝復古的な要素は、平安後期から鎌倉時代にかけて制作された奈良ゆかりの仏画に共通する特色といえるだろう。江戸時代には奈良・法隆寺の鎮守社である龍田新宮の本地仏とされ、また同じく法隆寺近隣の法起寺に伝来した時期もあったことが、表具の墨書銘から知られる。
(谷口耕生)
美麗 院政期の絵画, 2007, p.213
十一面観音は変化観音の一つであり、わが国では純密到来以前の早くから信仰された。絵画では飛鳥時代(白鳳期)の法隆寺金堂壁画第十二号壁が古例である。
本図では、観音は向かって左を向き宝壇の上の白蓮華座に坐し、右手は与願印を表しその手首に数珠をかけ、左手は胸前で紅蓮華をさした水瓶を持している。観音の頭上には菩薩面三面、瞋怒面三面、狗牙上出面三面、大笑面一面と頂上仏面を含めて十一面を表している。玄奘訳の『十一面神咒心経』にしたがう像容である。
なお、図の上方には宝相華文で装飾する華やかな天蓋がかかり、透かし彫り風の光背を負った観音が実在感のある台座に坐す姿は、いかにも実際の観音彫像を写したごとくである。面貌は奈良時代の古式を想像させる。肉身は淡紅色で塗り、朱線で描起し、そこに強い朱の隈取を施す。着衣上には地文様、主文様ともに截金文を置き、台座や天蓋ともに多種類の文様で厳飾している。
巻留めに南都法起寺に伝来した旨の近世の墨書銘がある。作風と合わせ考えて南都有縁の絵画としてよいと思われる。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.311, no.152.