中国の僧・善導(ぜんどう)が説いた、阿弥陀(あみだ)信仰に関する譬喩(ひゆ)を絵画化したもの。怒りや憎しみを象徴する火の河と、執着を象徴する水の河に挟まれても、阿弥陀如来を信じる白い一筋の道があれば、極楽浄土(ごくらくじょうど)に行くことが出来るということを示す。本図の場合、上三分の二が極楽浄土の様子であり、下三分の一のうち最下方が現世、火と水の河の間の白い道の先には、阿弥陀三尊が待つという構成である。
浄土宗の祖として知られる法然(ほうねん)は善導の著作をよく学び、この譬喩も自書に引用しており、善導の教えは法然以降の浄土系宗派でも重視された。二河白道の教えの絵画化もこうした状況を背景に広がったと考えられる。前田青邨旧蔵の品。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.266, no.150.
中国の唐時代に善導(ぜんどう)(六一三~六八一)が著わした、『観無量寿仏経』の解説書『観無量寿仏経疏』に記されている、「二河白道図」の譬えを描く。この世と阿弥陀如来の浄土とを隔てて、水の河(貪(むさぼ)りやこだわりをたとえる)と、火の河(怒りや憎しみのたとえ)があり、両者の間を幅四五寸の白い道(浄土に行くことを願う清浄な心)が伸びている。この世で盗賊や猛獣など(仏道修行の妨げになるもの)を逃れた人が、白道の入り口に立つとき、こちら岸で人声(釈迦の教え)が進入を勧めるのを聞き、対岸からも呼ぶ声(阿弥陀が浄土へ迎え取る願い)を聞いて、決心して進むと、対岸で善い友(阿弥陀)と対面するという。この譬えは、わが国でも法然(ほうねん)(一一三三~一二六二)が『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんちゃくねんぶつしゅう)』に取り上げて以後、浄土教形の各宗派で図にも描かれ、浄土信仰を解りやすく説くのに用いられた。この図は、二河白道を下部に比較的小さく表す一方、浄土の描写に上部を大きく割いて、種々の截金(きりかね)文様を交えた濃厚で細密な表現によって、浄土への強い思いを表現している。
(中島博)
平成十二年度国立博物館・美術館巡回展 信仰と美術, 2000, p.72
中国・唐の善導(613~681)が著した『観無量寿経』の註釈書である『観無量寿仏経疏』(『観経疏』)巻第四で、この二河白道の譬喩が説かれている。わが国では法然(1133~1212)や親鸞(1173~1262)がその著書で引用・言及してから浄土教諸派で絵画化されるようになる。
現世で群賊や悪獣(悪や誘惑の譬え)に襲われようとする衆生が、西(極楽浄土の方向)に向かって走ると目前に火河と水河(自身の「いかり・憎しみ」と「こだわり・むさぼり」の心の象徴)が現れる。その間にわずかに白道(極楽往生を願う清浄な心)が対岸に向かってのびる。衆生は一心に阿弥陀を念ずることによって迷うことなく白道をわたり極楽往生をとげるという。二河白道図は『観経疏』の二河譬を典拠とした絵画化にあわせて、娑婆世界の多くの景物情景が描き込まれるのが特徴である。図は上左方が阿弥陀の極楽浄土で、宝池の中に化生人物を、また白道の彼岸(西岸)には迎接の阿弥陀三尊を表している。銀泥や截金で装飾した洲浜形を象り、宝樹や花卉、霊鳥などを美しく配している。下段(東岸)は現世を表し、悪獣や襲いかかろうとする武士、悪に誘惑しようとする人物などを細かく描いている。本図の細密画的な精緻な表現はきわめて特徴あるものだが、これは京都・知恩寺本や奈良国立博物館本をはじめとする同時代の観経序分義図などの当麻曼荼羅派生図の表現に近いことが興味深い。なお、香雪美術館本には韋提希(いだいけ)夫人を明らかに描いていて、二河白道図と序分義図との密接な関係を想像させる。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.315-316, no.168.