補陀落山(ふだらくさん)中の千手観音の独尊坐像。観音の背後にはごつごつとした山岳が重なりあって、霞がかかっており、奥に険しい山岳が控えていることがわかる。山からは霊雲が立ち上がり、ここが仏菩薩の居る特別な場所であることを知らせる。観音は水波に面する岩場に坐す。蓮台の周囲には色とりどりの玉が散らばるがこれは観音のもたらす福徳の豊かさを象徴するという。観音の真下の荒れる波間からは、右手に赤い宝珠(ほうじゅ)を持った龍が姿を表す。山岳は緑に覆われ木々が華をつけ、観音の右側や真下には水の流れもあり豊かである。景観は『華厳経(けごんきょう)』等に説かれる観音の住処、南方の湿潤な環境にある険しい山・補陀落山に見合った描写をしているのであろう。
千手観音の肉身は金色で、衣は彩色(さいしき)された上に截金文様(きりかねもんよう)が施される。条帛(じょうはく)に施された羽根形を連ねる文様など、平安時代までには見られない珍しい文様も見える。
画面の上方まで山岳景とし、細かな截金文様を施した衣をまとう金色の観音を中央に配すのは奈良国立博物館所蔵の如意輪観音像と同種の表現である。
(北澤菜月)
西国三十三所 観音霊場の祈りと美, 2008, p.278
観音は古くから強い支持を集めてきた菩薩である。信仰内容は現世利益から浄土信仰に及び、図像(像容)はきわめて多様である。本図のように山中に坐すのは観音の浄土である補陀落山(ふだらくせん)の信仰に由来する。
図は、補陀落山中の岩座上蓮華座に坐す金身の四十二臂十一面の千手観音を描いている。図様は『千光眼観自在菩薩秘密法経』による通例のものであり、頂上に仏面、天冠台上正面に化仏坐像、その両側に上段各二面、下段各三面の菩薩面を配し、本面と合わせて菩薩面十一面とし、四十二臂の各掌にはそれぞれ一眼を描く。二重円光の周辺に短い火焔をめぐらす。観音の肉身は金泥で塗り、朱肉線で描起こす。衣文の文様は金泥や胡粉で細かく表し、衣文線や輪郭線にやや太目の截金をおく。下方の海中からは、宝珠を持す龍がたち昇っている。
観音像の面貌はやや面長で、例えば京都・妙法院の千体千手観音像納入品である版画に見られる面貌に近似し、異国である中国の観音像を意識したものと想像される。背景の補陀落山浄土は、やわらかい水墨調の墨線の下描きに墨暈を加え、群緑で彫塗り風に塗りわけ所々に金泥をはく。こうした山水表現はわが国では平安時代後期から現れるが、これも中国画の青緑山水を意識したものであり、次第にわが国の仏画にとけ込んだ。鎌倉時代後期にはこのような自然景と密教の尊像とが融合した図様が好んで現れる。絵画史的な観点からも、信仰史上からも画期的なことと思われる。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.311, no.150.