『七大寺日記』は十二世紀前半頃、大和国の諸寺を訪ね歩いた人物が著した巡礼記(じゅんれいき)。東大寺から始めて、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺の順に、各寺の縁起(えんぎ)や堂舎(どうしゃ)、仏像などについて、故事を引用しながら見聞した事がらを簡潔に記し、しばしば感想を書き添える。十二世紀における南都寺院の状況をまとまって知ることのできる重要な史料である。本品はその現存唯一の写本(しゃほん)で、鎌倉時代、建長七年の書写。もとは東寺観智院(とうじかんちいん)に伝来した。なお、本品の末尾には「行基菩薩伝(ぎょうきぼさつでん)」という別の典籍(てんせき)も書写されている。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.249, no.40.
平安時代後期の嘉承元年(一一〇六)にある人物が南都の七大寺を巡礼した時の記録で、東大寺(とうだいじ)、興福寺(こうふくじ)、元興寺(がんごうじ)、大安寺(だいあんじ)、西大寺(さいだいじ)、薬師寺(やくしじ)、法隆寺(ほうりゅうじ)の七大寺に加え、興福院(こんぶいん)と唐招提寺(とうしょうだいじ)に関する項目もある。なお、作者は大江親道(おおえのちかみち)とされてきたが、保延六年(一一四〇)に親通が南都を巡礼した折の記録である『七大寺巡礼私記(しちだいじじゅんれいしき)』に比較して文体が簡潔であり、内容にも矛盾点があることから、本書の撰者については検討の余地がある。さて、『七大寺日記』において白鳳時代の作品に関する記事として注目されるものに、大安寺の本尊釈迦如来(しゃかにょらい)像に関する記述がある。それは本書の薬師寺の頁に見える。そこでは金堂の薬師三尊像について述べた後に、「およそ仏像ならびに十二神将像はもっとも拝見すべし」(原文は漢文)と薬師三尊像等の見事さを讃えているが、それに続けて「大安寺を除くのほか、諸寺の仏像に勝れたまうものなり」(同)と記している。薬師三尊像の素晴らしさを讃えつつも、大安寺の釈迦如来像を除いてであると条件を付けているのである。薬師三尊像がわが国古代彫刻の傑作であることは言うまでもないが、大安寺の釈迦如来像はそれと並ぶ、あるいはそれ以上であると評価しているのである。『大安寺伽藍縁起幷流記資材帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』に見えるように、この像は天智(てんじ)天皇によって造立された。白鳳彫刻が後世の人に高く評価される造形性を有していたことを物語る逸話である。
(内藤栄)
開館一二〇年記念白鳳―花ひらく仏教美術―, 2015, p.231
平安時代末期に南都七大寺などを巡礼した際の見聞記。嘉祥元年(1106)大江親通の撰とされる。
内容は、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺の順に、各寺の縁起・堂舎・仏像などについて簡略に記し、行基の伝記を書き加えている。『七大寺巡礼私記』と並んで、12世紀頃の南都寺院の状況を記す史料として重要である。
本帖は建長7年(1255)に書写されたもので、現存する唯一の古写本である。もとは東寺観智院に伝来した。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.307, no.133.