釈迦の成道と教団形成に到る半生の伝記に、その因縁として前生の話を付した『過去現在因果経』を巻物の下半分に書き、上半分に経文に対応する絵を描いたもの。天平勝宝年間の正倉院文書に絵因果経三部の記録があり、奈良時代の作とみなされる遺品も数種伝わっていて、盛んに作られたことがわかる。本品は上品蓮台寺本(もと全八巻のうち第三巻)の巻末に近い一部の断簡で、出家の契機となる事件や父王への出家願い出などを含む。経文における異体字の使用状況や、描かれた風俗の考証から、祖本は初唐期の作品であったとみられる。書は整然とした楷書で、写経所の書生の手になると確認できる醍醐寺本と同様に、写経所で作られたと思われる。絵は構図・描写とも一見素朴であるのは、祖本よりさらに古い作品の骨格が伝えられているゆえと思われるが、小さいながらに写実味を備えた人物の相貌や立体感ある山や岩など、唐様式も確かめられ、彩色が鮮やかに保存されていることもあって、奈良時代の説話画の生きいきとした世界を十分に窺わせてくれる。
(中島博)
天平, 1998, p.218
『絵因果経』は『過去現在因果経』(劉宋求那跋陀羅、元嘉年間五世紀中頃訳)四巻にそれぞれ絵をつけて一部八巻組としたものである。『正倉院文書』の「天平勝寳五年五月七日類収小乗經納櫃目録」に「畫因果經二部十六巻」とあるのがわが国の文献上の初見で、同「天平勝寳八歳七月二日類従圖書寮經目録」には、「繪因果經八(十三)巻 一(二)帙之中一帙繪」の記事がある。当時は写経所における経巻「絵表紙」の制作が興隆した頃であり、写経所と画師の関わりが深くなった頃に一致する。『絵因果経』をもって、仏伝の絵がテキストと対応する形で理解された意義は大きい。
現存する奈良時代の『絵因果経』は、上品蓮台寺本(巻第二上)、醍醐寺本(巻第三上、完本)、旧益田家本(巻第四上)、東京藝術大学本(巻第四下)、の四本と出光美術館本(巻第三上)がある。
当館本は当初は上品蓮台寺本と一巻をなしていたもので、上品蓮台寺本の「競試武芸」「灌頂太子」「閻浮樹下思惟」「納妃」に続く「四門出遊」の最末尾の場面すなわち、太子が北門を出て比丘と問答し、比丘は終わって空にのぼって去るという場面から、太子が馬に乗り帰城するところ、優陀夷が王に太子が比丘と会ったことを告げる場面、妃と太子と伎女の奏楽歌舞を見る場面、ついに太子が王に出家修道の許しを乞う場面が表される。現存の『絵因果経』は各本それぞれ表現に特徴があり、同時期同画師の制作とは考えられないが、かえってこれが当時の画工司の事情を推測する貴重な手掛りとも思われる。遺品少ない奈良朝絵画でありきわめて貴重な存在である。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.313-314, no.159.