色染めの料紙(りょうし)(色紙)を用いて書写された『法華経』八巻である。色紙の写経には、法華経巻第八(色紙)のように一巻の中で様々な色合いの紙を継ぎ合わせる遺品が多いが、本品は一巻を通じて同色の紙を用い、巻別に色を異ならせている。巻第一は青緑、巻第二・四・五は淡橙、巻第三は緑、巻第六は黄土、巻第七は赤紫、巻第八は山吹色。色紙の表裏には金銀の截箔(きりはく)を粗く散らす装飾を施し、界線を金泥で引いて(界高一九・二、界幅一・八センチメートル)、経文を墨書する。経文の文字は丸みのある端正な書風で、十二世紀前半頃のものかと思われる。現在の表紙と見返しは、別の法華経(一品経(いっぽんきょう))に使われていたものの転用であり、当初のものではない。水晶性六角形の軸端(じくばな)も後補であろう。各巻末に施入奥書(せにゅうおくがき)があり、これが伯耆国(ほうきのくに)(現在の鳥取県西部)の大山(だいせん)に施入されたものであることがわかる。本品の当初の制作地は不詳だが、施入奥書は書風から中世以前のものと思われ、本品が長く大山に伝来したと推察される。なお、巻第一・二・五・六の四巻は、全巻にわたって経の本文に朱の訓点(くんてん)が多数書き込まれており、ヲコト点は主に南都で用いられた喜多野院(きたのいん)点で、十二世紀の加点とみられる。本文の書写もそれを大きく遡らない時期であろう。
(野尻忠)
まぼろしの久能字経に出会う 平安古経展, 2015, p.153
平安時代の装飾法華経の一例で、1巻ごとに紙の色を変えた珍しい色紙経である。8巻を完存する。料紙の色は、たとえば巻第一が淡青、巻第三が淡緑、巻第七が淡紫、巻第八が淡茶。こうした微妙な色彩を取り合せるところに王朝貴族の洗練された美意識がうかがえる。料紙の全面に金銀の箔を粗く撒いており、界線は金泥で施されている。
各巻の巻尾には、大山権現西明院へ施入した旨の奥書があり、伯耆国の大山寺に伝来したことがわかる。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.303, no.118.