各所の損傷が痛ましいが、堂々たる姿が存在感を放つ像。頭部から足もとまで木心を込めたカヤの一材から彫出し、両腕の外側と左手先、両足先に別材を矧(は)ぐ(いずれも亡失)。この構造に加え、量感に富む体軀(たいく)や森厳な表情から平安時代前期をくだらない作と考えられるが、抑揚の強い瞼(まぶた)の表現などが香川・正花寺(しょうけじ)菩薩像に近似し、奈良時代にさかのぼる可能性も指摘される。大腿部にあらわされたY字形の衣文(えもん)は、奈良から平安時代前期にかけての立像に通有のもの。丹波(たんば)地方伝来とされるが、詳細は明らかでない。
(内藤航)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.121, no.157.
堂々たる存在感を放つ一木造(いちぼくづくり)の如来像。ほぼ全容をカヤの一材から彫出し、内刳りを施さない。両腕の外側と左手先、両足先に別材を矧(は)ぐ(いずれも欠失)。各所の損傷が痛ましく、本来の尊名も不明だが、異相ともいうべき面貌の表現や分厚く量感に富む体軀(たいく)は迫力に満ちている。平安時代初期をくだらない作であるが、抑揚(よくよう)の強い両瞼(まぶた)の表現や頰の張りが香川・正花寺(しょうけじ)菩薩立像に通じ、奈良時代にさかのぼる可能性も指摘されている。大腿部にあらわされたY字形の衣文は、奈良から平安時代にかけての立像に通有のもの。詳細不明だが、もと丹波(たんば)地方に伝来という。
(内藤航)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.250, no.47.
当初の安置場所は不明だが、丹波地方に伝わったともいわれる。像の幹部は木心(もくしん)を籠(こ)めたカヤの一材から彫成し、材の不足する両体側部と手首先等に別材を矧(は)ぐ(別材部亡失)。全体にやつれが目立ち、この像のくぐり抜けてきた激動の時間がしのばれる。堂々たる量感や厳しく重厚な表情は、その構造とも合わせ、本像の制作期が平安時代初期をくだらないことを物語るが、抑揚の大きい上下の瞼が形づくる強い調子の表情は、香川・正花寺(しょうげじ)の菩薩(ぼさつ)立像などに通ずるところもあり、奈良時代にまでさかのぼる可能性も残していよう。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.99, no.126.