神代から持統天皇の時代までの出来事を編年体(へんねんたい)で記す『日本書紀』は、中国で歴代王朝ごとに作成されていた正史(せいし)にならい、わが国で最初に編纂された国史である。その編纂の端緒は天武天皇の時代(在位六七二~六八六)にあり、約四十年にわたって断続的に続けられた後、最終的には舎人親王(とねりしんのう)等を中心にまとめ上げられ、元正天皇の養老四年(七二〇)五月に完成し、「紀三十巻」と「系図一巻」が奏上された(「系図一巻」は現存しない)。本品は、三十巻のうち巻第十の応神天皇紀の部分で、首尾各一紙を欠くものの九紙が残り、応神天皇二年から四十一年までの記事がある。その中には、王仁(わに)(『古事記』では「和迩吉師(わにきし)」と表記)の百済(くだら)からの来日に関わる記事も含まれる。『日本書紀』は完成当初から歴史書として重視され、平安時代にはしばしば講義(日本紀講筵(にほんぎこうえん))が実施された。そのため平安時代に遡る古写本も少なからず現存するが、本品が最古の写本であり、四天王寺(大阪市蔵)の『日本書紀』巻第一断簡(二葉)等と僚巻になる。なお、本品の紙背は『性霊集(しょうりょうしゅう)』の平安時代後期の写本で、序の途中から巻第二の途中までを収める。
(野尻忠)
古事記の歩んできた道―古事記撰録一三〇〇年―, 2012, p.8 (一部改変)
養老4年(720)に完成した『日本書紀』30巻は、わが国最古の勅撰の国史で、いわゆる六国史の最初に当たる歴史書である。神代から持統天皇の時代までの出来事を、漢文により編年体で記している。『日本書紀』はきわめて重要視され、すぐれた写本も少なくないが、本巻が現存する最古の写本である。
これは30巻のうち巻第十の「応神天皇紀」で、首尾各1紙を欠くものの9紙を存し、応神天皇2年から41年までの記事を、端麗な楷書で記している。この中には、王仁博士の来朝などの著名な記事も収められている。仮名などの訓読点や校異などの注記はなく、書風からみて平安時代初期のものと推定される。
紙背には、空海の詩文集である『性霊集』が書写されている。こちらは書風から平安時代後期に書写されたものと考えられるが、これが『性霊集』の現存最古本である。文中には振り仮名や送り仮名が付されており、平安時代における『性霊集』の読法を精細に伝えて国語学上にも貴重である。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.305, no.123.