いま愛媛・保安寺に安置される阿弥陀如来(あみだにょらい)及観音(かんのん)・勢至両菩薩像(せいしりょうぼさつぞう)と、もと一具とみられる。保安寺阿弥陀如来像の像内の修理銘により、この五尊はかつて後白河法皇建立(こんりゅう)の忠光寺梅之堂に安置されていたことが判明している。この五尊像の組み合わせは、八十一尊曼荼羅(はちじゅういっそんまんだら)と呼ばれる天台系の金剛界曼荼羅に端を発する密教系の阿弥陀五尊像が日本国内において変容を遂げた姿と考えられるが、彫像としては現存する唯一の作例である。静謐(せいひつ)な感情を籠(こ)めた造形はいかにも院政期のものである。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.104, no.135.
愛媛・保安寺の阿弥陀三尊に随侍していた像で、もと忠光寺梅之堂にあった。江戸時代には阿弥陀三尊が宇和島・等覚寺に移され、この2体も宇和島の潮音寺に移される。その後、明治に阿弥陀三尊は再び梅之堂に帰るが、2体は近年国の所有となるまでは潮音寺に伝来していた。このように幾度かの変遷を経、観音・勢至の一具性には問題もあるが、もともと五尊形式を為していたことは誤り無く、宝冠阿弥陀を除けば、彫像における阿弥陀五尊像の現存唯一の遺例として貴重である。
地蔵菩薩は左手に宝珠を捧げて、右手は持物を執るように手首を立て、龍樹は合掌する。共に両手先は後補であるので、特に地蔵の当初の右手が如何なるものであったかは判断つかない。印相を除く体部は、肉付けや服制に至るまで2体はほぼ同様で、ヒノキの一木で前後割矧(わりはぎ)し、割首(わりくび)とする基本構造も一致する。ただし表情は、静かに瞑想する地蔵に対して、龍樹は何かを唱えているように表し、その性格付けを行っている。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.295, no.82.
もと阿弥陀如来の左右に観音・勢至・地蔵・竜樹の四菩薩を加えた五尊形式の群像を構成していたうちの二体。阿弥陀如来の前方は観音勢至の二菩薩が安置され、地蔵竜樹の二菩薩は阿弥陀後方左右に配される。地蔵菩薩は右手を施無畏印とし、左手に宝珠を捧げる姿につくられ、竜樹菩薩は合掌形につくられる。ともに桧材による寄木内刳造の像で、まるみのある肉取りや整斉された衣文など平安時代後期の典雅な表現がみてとれる。
(松浦正昭)
菩薩, 1987, p.226