空海の詩文や上表文(じょうひょうぶん)などを集めた『性霊集』の序文から巻第二の途中までが収められた写本の残欠。本品は、九世紀に書写された『日本書紀(にほんしょき)』の紙背(しはい)に十二世紀に書き写された形で伝来している。
巻第一には、献上されたと思われる詩や貴族に送った詩などが収められる。「喜雨歌」は、干魃(かんばつ)に際して、天皇の命により諸寺が祈祷、経典の読誦を行うと雨が降ったことを喜んで詠んだ詩。仏法の威力と天皇の威光を讃え、また最後に密教を勧める。
次に、桓武天皇の子で漢詩にも優れた貴族として知られる良岑安世(よしみねのやすよ)から送られた詩に返す詩が収められる。良岑安世の一つ目の問い、なぜわざわざ不便な高野山に入るのか、という疑問に対し空海は、自然の素晴らしさと俗世のはかなさを示す。また山中に楽しみはあるのかという問いには、高野山の静謐(せいひつ)な環境がいかに自分にとって最高の環境であるかを述べる。そして一人高野山に籠もり黙してしまうことへの批難には、大切な教えはやたらと喧伝(けんでん)すればよいというものではない、と諭す。こうした漢詩にも、所々に密教流布に対する空海の姿勢が垣間見える。
(斎木涼子)
空海 密教のルーツとマンダラ世界. 奈良国立博物館, 2024.4, pp.276-277, no.97.
養老四年(七二〇)五月に完成した『日本書紀』は、わが国で最初に編纂された国史で、神代(神々の時代)から神武(じんむ)天皇を経て持統(じとう)天皇(西暦六九七年退位)までの出来事を漢文で記す。本品は、『日本書紀』全三十巻のうち巻第十の応神(おうじん)天皇紀の大部分を収める写本(しゃほん)で、書風等から九世紀の書写と推定される現存最古本。本文は、淡墨で引かれた界線(かいせん)の中に、端麗な楷書(かいしょ)で筆写される。訓点(くんてん)等の後世の書き入れはない。本品はかつて京都の田中家が所蔵したため田中本(たなかぼん)の名でも知られる。紙背(しはい)は弘法大師空海の詩文集『性霊集(しょうりょうしゅう)』の写本で、十二世紀頃の書写とみられる。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.278, no.228.
『日本書紀』は、中国で歴代王朝ごとにつくられていた正史(せいし)に範をとり、わが国で最初に編纂された国史で、神代から神武天皇を経て持統天皇(西暦697年退位)の時代までの出来事を漢文で記す。その編纂は天武天皇の時代(在位672~686)に始まり、約40年にわたって断続的に続けられ、養老4年(720)5月に完成して「紀三十巻」と「系図一巻」が奏上された(「系図一巻」は現存しない)。
『日本書紀』の原本は今に伝わらないが、奈良時代の完成当初から歴史書として重視され、平安時代にはしばしば講義が実施されたため、平安時代に遡る写本が少なからず現存する。中でも奈良国立博物館が所蔵する本品は、書風等から9世紀頃の書写と推定される現存最古の写本で、全30巻からなる『日本書紀』のうち、巻第十の大部分、すなわち応神天皇2年3月庚戌条の途中から同41年2月是月条の途中までを収める。その中には、天皇が皇子に書物を読み習わせるため、百済から王仁(わに)(『古事記』では「和迩吉師(わにきし)」)を招いて師としたという著名な記事も含まれている。
写本の文字は端麗な楷書(かいしょ)で、淡墨の界線(かいせん)によって作られた各行に、1行あたりほぼ一定して17字を収める。文中には訓点や校合などの後世の書き入れが一切なく、書写当時の姿をそのまま伝えている。
なお、本品の紙背は弘法大師空海の詩文集『性霊集(しょうりょうしゅう)』の平安時代後期の写本で、序の途中から巻第二の途中までを収める。
(野尻忠)
奈良国立博物館だより第99号. 奈良国立博物館, 2016.10, p.8.
神代から持統天皇の時代までの出来事を編年体(へんねんたい)で記す『日本書紀』は、中国で歴代王朝ごとに作成されていた正史(せいし)にならい、わが国で最初に編纂された国史である。その編纂の端緒は天武天皇の時代(在位六七二~六八六)にあり、約四十年にわたって断続的に続けられた後、最終的には舎人親王(とねりしんのう)等を中心にまとめ上げられ、元正天皇の養老四年(七二〇)五月に完成し、「紀三十巻」と「系図一巻」が奏上された(「系図一巻」は現存しない)。本品は、三十巻のうち巻第十の応神天皇紀の部分で、首尾各一紙を欠くものの九紙が残り、応神天皇二年から四十一年までの記事がある。その中には、王仁(わに)(『古事記』では「和迩吉師(わにきし)」と表記)の百済(くだら)からの来日に関わる記事も含まれる。『日本書紀』は完成当初から歴史書として重視され、平安時代にはしばしば講義(日本紀講筵(にほんぎこうえん))が実施された。そのため平安時代に遡る古写本も少なからず現存するが、本品が最古の写本であり、四天王寺(大阪市蔵)の『日本書紀』巻第一断簡(二葉)等と僚巻になる。なお、本品の紙背は『性霊集(しょうりょうしゅう)』の平安時代後期の写本で、序の途中から巻第二の途中までを収める。
(野尻忠)
古事記の歩んできた道―古事記撰録一三〇〇年―, 2012, p.8 (一部改変)
養老4年(720)に完成した『日本書紀』30巻は、わが国最古の勅撰の国史で、いわゆる六国史の最初に当たる歴史書である。神代から持統天皇の時代までの出来事を、漢文により編年体で記している。『日本書紀』はきわめて重要視され、すぐれた写本も少なくないが、本巻が現存する最古の写本である。
これは30巻のうち巻第十の「応神天皇紀」で、首尾各1紙を欠くものの9紙を存し、応神天皇2年から41年までの記事を、端麗な楷書で記している。この中には、王仁博士の来朝などの著名な記事も収められている。仮名などの訓読点や校異などの注記はなく、書風からみて平安時代初期のものと推定される。
紙背には、空海の詩文集である『性霊集』が書写されている。こちらは書風から平安時代後期に書写されたものと考えられるが、これが『性霊集』の現存最古本である。文中には振り仮名や送り仮名が付されており、平安時代における『性霊集』の読法を精細に伝えて国語学上にも貴重である。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.305, no.123.











