懸仏(かけぼとけ)は、円形や方形などの鏡板(かがみいた)に神仏の像を取り付けたもので、堂や社殿に懸けて礼拝される。「御正体(みしょうたい)」ともいい、神仏を鏡面に線刻(せんこく)した鏡像(きょうぞう)から発展したものともされる。本品は、日吉山王社(ひえさんのうしゃ)(滋賀県)の諸尊を銅製の円形鏡板に配した懸仏。諸尊は銅板打出しで、吊鐶(つりかん)の座金具(ざかなぐ)が鬼面(きめん)ではなく宝相華(ほうそうげ)形であるなど、懸仏としては初期の特徴を示す。裏面の針書銘(はりがきめい)から、諸尊は中央が大宮、周囲は右上から時計回りに八王子、聖真子、二宮、大行事、牛御子、早尾、十禅子、客宮、三宮で、建保六年(一二一八)、阿蘇谷(熊本県)の平景俊による奉納とわかる。鎌倉時代前期の懸仏の基準作として貴重な品である。
(三本周作)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.270, no.171.
覆輪(ふくりん)をめぐらした薄い銅板の表面に銅板打ち出しにより整形した日吉社(ひえしゃ)の諸尊を鋲留(びょうどめ)した懸仏(かけぼとけ)。両肩には花形鐶座を鋲留して円鐶を通し、懸吊に備えている。鏡板の背面に諸尊の尊名が針書(はりがき)されており、尊名が確定できる点でも貴重であり、山王曼荼羅の基準作例として重要である。それに従うと中央が大宮、囲繞(いにょう)する諸尊は右上から時計回りに八王子、聖真子、二宮、行事、牛御子、早尾、十禅子、客宮、三宮とわかる。大宮、二宮、聖真子、八王子、客室(客人)、十禅子(十禅師)、三宮はいわゆる山王上七社(さんのうかみしちしゃ)で、これに行事(大行事)、早尾、牛御子の三神が加えられている。山王十社の取り合わせは掛幅(かけふく)の山王曼荼羅(まんだら)にも多くみられ、通常上七社の諸尊に門番的な性格の大行事、早尾の二尊が加わり、さらに任意の一尊が加えられるとの指摘がなされている。なお、任意の一尊を加えない、九社形式の曼荼羅も数多く遺っている。ちなみに本品の尊像の配置は、大宮を中心に、大行事、早尾、牛御子を下方に配するところは懸幅の曼荼羅と共通しており、任意の一尊を下方の中心にする点も同じである。この一尊の選定は、制作主体にとって特に信仰された尊像ではないかとの指摘がされている。各尊はいずれも垂迹(すいじゃく)神の姿で表されており、垂迹神曼荼羅の多い掛幅の日吉山王曼荼羅の特色とも呼応している。なお、尊名とは別に、鉄板背面に「阿蘓谷領主也/建保六年〈歳次戌寅〉七月十九日/阿蘓谷領所院主惣公文/中御子平景俊」の針書銘があり、製作の経緯がわかる点でも看過しがたい。阿蘇谷(あそだに)は現在の熊本県球磨郡あさぎり町須惠(すえ)の阿蘇谷に当たるとされ、本品も同郡水上(みずかみ)村の霧島神社奥院に伝わったとする説がある。平影俊(たいらのかげとし)は九州の豪族といわれており、何らかの宿願を込めて奉献されたものと想像される。
(清水健)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.284
懸仏は鏡に擬した銅板に浮彫り状あるいは丸彫りの尊像を装着し、吊り下げるための装置をそなえたものをいい、鏡像より派生したものと考えられている。本品は銅円板に、銅板を打出し細部を毛彫りで表した山王十社の諸尊を鋲留めした山王曼荼羅懸仏。銅円板は覆輪(ふくりん)をめぐらし、上方二ヶ所に花形鐶座(はながたかんざ)と吊鐶(つりかん)をそなえる。中央にひときわ大きく僧形の大宮を表し、周囲は右上から時計回りに男神の八王子、僧形の聖真子、僧形の二宮、猿神の大行事、臥牛の牛御子、男神の早尾、地蔵形の十禅師、女神の客宮、女神の三宮を配する。背面には諸尊の背後にそれぞれの尊名を針書きするほか、中央に「阿蘇谷預主也/建保六年[歳次/戊寅]七月十九日/阿蘇谷預所院主惣公文/中御子平景俊」という針書銘があり、この作品が建保6年(1218)、阿蘇谷(熊本県球磨郡須恵村)預所院主惣公文であった平景俊によって作られたことがわかる。鎌倉前期の懸仏の基準作例として貴重であるとともに、日吉山王関係遺品として注目すべき作品である。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.284, no.29.

