黒漆塗の舎利(しゃり)厨子。屋蓋(おくがい)、軸部、基壇部(二重框座)で分離ができ、さらに軸部を除いた部材は入れ子状に収納できることから、携帯して用いられたと考えられる。観音開きの扉は金銅製の蝶形(ちょうがた)蝶番(ちょうつがい)で内外から留(と)め、内部には飛雲座に立つ神鹿を安置する。神鹿は皆金色で、背には唐鞍(からくら)をのせ、その上に火焰宝珠型(かえんほうじゅがた)舎利容器を奉安している。宝珠形は水晶製で、内部に納入した舎利が見える仕組みである。背に奉安するものが異なるが、ほぼ同型の作例に春日神鹿御正体(重要文化財、京都 細見美術館)が知られている。神鹿の背に舎利容器をのせる表現は、春日大社本殿第一殿の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)の本地仏が釈迦如来とする考え方に基づき、「武甕槌命=釈迦=舎利」という信仰の融合によって生み出された造形である。
軸部の側板にはかつて慳貪(けんどん)式の板を嵌めていた痕跡があるが、板を嵌め込んだ場合には神鹿を安置するスペースが得られないことから、本来厨子と神鹿は一具ではなかったとする見解が出されてきた。神鹿と舎利容器の彫金技法を見ると、宝珠の三方につく火焰や台座の華盤(けばん)には細かな魚々子(ななこ)が打たれ、仰蓮(ぎょうれん)の蓮弁は薄作りで葉脈(ようみゃく)を密に刻むなど精緻(せいち)な作風を示すが、反花(かえりばな)や神鹿が装着する唐鞍では形式的にかたちを捉えた大略的な作風を示しており、趣を異にする感が看取される。このような作風の差異は、各部材が後世に取り合わせられたことを示唆しているといえよう。
(伊藤旭人)
春日大社若宮国宝展-祈りの王朝文化-. 奈良国立博物館, 2022.10, p.122, no.9.
春日大社(かすがたいしゃ)一宮の春日明神の乗り物である鹿の背に、釈迦(しゃか)の遺骨である舎利(しゃり)をのせた作品。これは春日明神の本地が釈迦如来とされたため、明神の姿を舎利で表現したものである。類例は能満院(のうまんいん)(奈良)の四方殿舎利厨子(しほうでんしゃりずし)など数例しか確認されていない。舎利容器は蓮台に火焰宝珠(かえんほうじゅ)をのせた形式で、宝珠部分を水晶製とするほかは金銅製である。木製黒漆塗の厨子に納められているが、本来この厨子は別の用途で使われていたものを転用したものである。
(内藤栄)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.270, no.173.
二重基壇にのる宮殿形厨子(くうでんがたずし)で、正面に観音(かんのん)開き扉を設け、内陣には木製の飛雲座に立つ神鹿(しんろく)を安置している。神鹿は背に鞍(くら)をのせており、ここに蓮華座(れんげざ)にのる火焔宝珠形(かえんほうじゅがた)舎利容器(しゃりようき)を奉安している。宝珠は水晶製で、三方に金銅製の火焔を付けている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿にのって鹿島から春日に影向(ようごう)したさまを表現しており、武甕槌命の本地が釈迦如来とされたため、命の姿は舎利で表されている。
ところで、厨子内部の側壁にはかつて一枚の慳貪(けんどん)板が奥壁前に嵌められていたことを示す痕跡が残っている。この慳貪板をはめた場合、神鹿を安置する十分なスペースが残されておらず、当初この厨子と神鹿は一具ではなかったことになる。神鹿舎利容器が当初どのようにまつられていたかはわからないが、中世における春日信仰と舎利信仰との習合を物語る作品として貴重である。
(内藤栄)
おん祭と春日信仰の美術ー特集 神鹿の造形ー. 奈良国立博物館, 2020, p.53, no.28.
唐鞍(からくら)を着けた金銅(こんどう)製の鹿の背に、金属製の火焔(かえん)や蓮台を伴う水晶製舎利(しゃり)容器を配する小型の舎利荘厳具(しょうごんぐ)。春日神使(かすがしんし)である鹿の背に、火焔宝珠形(かえんほうじゅがた)舎利容器を乗せる趣向は、春日大社本殿第一の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の本地仏(ほんじぶつ)が釈迦如来(しゃかにょらい)とされ、舎利が釈迦の遺骨とされたことを踏まえれば、常陸(ひたち)国鹿島から本殿第一殿の祭神・武甕槌命が白鹿に乗って飛来し、御蓋山(みかさやま)に影向(ようごう)した様を表すものと考えられる。いわば鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)を立体的に表現したものとも解釈でき、春日大社の草創縁起を踏まえて、礼拝(らいはい)されたものかと想像される。写実性がやや減じつつある鹿の造形や形式化の否めない火焔宝珠の表現から、制作年代は鎌倉時代末から南北朝時代に置くのが妥当と思われる。 神鹿は木製、黒漆塗(くろうるしぬり)の宮殿型厨子(くうでんがたずし)に奉安されており、足下には木製、彩色の雲形が表されて、影向の場面を強く喚起させる。厨子は照(て)り起(むく)りのある屋根をいただく屋蓋部、神鹿を安置する観音開きの扉の付いた軸部、二重の基壇部からなる、いわゆる春日厨子の形式で、乗雲の鹿がまことに似つかわしいが、軸部内部の側面に慳貪板(けんどんいた)をとりつけた痕跡があり、これを装着した場合に神鹿の入る空間が得られないことから、後世取り合わせられた可能性が高い。当初の安置形態は不明であるが、春日舎利信仰の一側面を示す遺例として、貴重な品である。
(清水健)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.332, no.168.
二重基壇にのる宮殿形厨子(くうでんがたずし)で、正面に観音(かんのん)開き扉を設け、内陣には木製の飛雲座に立つ神鹿(しんろく)を安置している。神鹿は背に鞍(くら)をのせており、ここに蓮華座(れんげざ)にのる火焔宝珠形(かえんほうじゅがた)舎利容器(しゃりようき)を奉安している。宝珠は水晶製で、三方に金銅製の火焔を付けている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿にのって鹿島から春日に影向(ようごう)したさまを表現しており、武甕槌命の本地が釈迦如来とされたため、命の姿は舎利で表されている。
ところで、扉内部側壁にはかつて一枚の慳貪(けんどん)板が奥壁前に存在していたことを示す痕跡が残っている。この慳貪板がはめられた場合、神鹿を安置する十分なスペースが残されておらず、当初この厨子と神鹿は一具ではなかったことになる。神鹿舎利容器に当初どのような荘厳(しょうごん)がなされていたかはわからないが、中世における春日信仰と舎利信仰との習合を物語る作品として貴重である。
(内藤栄)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2015.12, p.22.no.3
二重基壇にのる宮殿形厨子で、正面に観音開き扉を設け、内陣には木製の飛雲座に立つ神鹿を安置している。神鹿は背に鞍をのせており、ここに蓮華座にのる火焔宝珠形舎利容器を奉安している。宝珠は水晶製で、三方に金銅製の火焔を付けている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿にのって鹿島から春日に影向したさまを表現しており、武甕槌命の本地が釈迦如来とされたため、命の姿は舎利で表されている。おそらく、神鹿に舎利を奉安した形式は春日神鹿御正体(重文、細見文化財団所蔵)のような神鹿の背に春日五神の本地仏を表した御正体を掲げた形式の作品に遅れて登場したものと思われる。ところで、本品の扉内部側面を詳細に観察すると、かつて一枚の慳貪板(けんどんいた)が奥壁前に嵌められていたことを示す痕跡が残っていることに気付く。この慳貪板がはめられた場合、神鹿を安置する十分なスペースが残されておらず、当初この厨子と神鹿は一具ではなかったことになる。残念ながら神鹿舎利容器が当初どのような安置方法であったかは不明であるが、中世における春日大社の舎利信仰を伝える作品として貴重である。
(内藤栄)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.312
二重基壇にのる宮殿形厨子(くうでんがたずし)で、正面に観音(かんのん)開き扉を設け、内陣には木製の飛雲座に立つ神鹿(しんろく)を安置している。神鹿は背に鞍をのせており、ここに蓮華座(れんげざ)にのる火焔宝珠形舎利容器(かえんほうじゅがたしゃりようき)を奉安している。宝珠は水晶製で、三方に金銅製の火焔を付けている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿にのって鹿島から春日に影向(ようごう)したさまを表現しており、武甕槌命の本地が釈迦如来とされたため、命の姿は舎利で表されている。
ところで、本品の扉内部側面にはかつて一枚の慳貪(けんどん)板が奥壁前に存在していたことを示す痕跡が残っている。この慳貪板がはめられた場合、神鹿を安置する十分なスペースが残されておらず、当初この厨子と神鹿は一具ではなかったことになる。神鹿舎利容器に当初どのような荘厳(しょうごん)がなされていたかはわからないが、中世における春日信仰と舎利信仰との習合を物語る作品として貴重である。
(内藤栄)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.46, no.33.
二重基壇にのった木製黒漆塗りの宮殿形厨子で、正面に観音開き扉を開けている。内部には木製漆箔の飛雲形台座に立ち、背の鞍に宝珠形舎利容器をのせた神鹿を安置している。舎利容器は反花(かえりばな)・華盤(けばん)・蓮華座を重ねた金銅製打出しの台座にのり、宝珠は水晶製で三方に金銅製の火焔を付している。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)(春日明神)が鹿の背にのって影向(ようごう)したさまを表しており、神鹿の背に舎利を奉安したことは武甕槌命の本地を釈迦如来とする発想に基づいている。鎌倉時代以降、京都・笠置寺の貞慶(じょうけい)や同・高山寺の明恵(みょうえ)たちによって鼓吹された舎利信仰と春日信仰との融合を見ることができるとともに、宝珠形を舎利容器として用いた点に舎利と宝珠を等しいものと考える真言密教の影響も看取される。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.284-285, no.31.

